新春長野旅行記 3 | Perfumeとグルメの日記

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Perfumeと食べ歩き(主にラーメン)が好きです。
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正月の長野旅行の第3回目の記事は、今回の宿が松本市内でしたので、1日を割いて松本城を始めとする市内探索をしたものを取り上げました。
まずは、松本城に向かいます。
この日は天気が良く、空気も澄んでいたので、市内から山々がはっきりと見えました。
街中、至るところからこうして山が見えるんですよ。




さらに、お正月とあってか街中にたなびく沢山の日の丸。
この朝の数分間のだけで、この松本がすっかりお気に入りの街になりました。





さて、松本城に到着。
まずは色んな角度から外周を見て回りました。










お城を見るにつけ、いつも思うのですが、この石垣の立派な事。
こんな大きな石をはるばる遠くから運んでくるのが大変なのはもちろんとして、ピラミッドを見ても同じ事を思うのですが、まだ、物理や高等数学の公式など確立されてなかった時代に、これらを秩序正しく積み上げて、後世まで残る建造物にしていくには、一体どんな計算式を使ったのでしょうね。
昨今、日本の製造業の現場で、高度経済成長期に培った技術が、今の若い世代に伝承されていない事が問題になっていますが、もしかしたらこういう問題は既に、ピラミッド建設の時代から世界中で続いているのかもしれません。


そして、いよいよ天守にお邪魔します。




この松本城の内部の特徴は、当時の近代的戦法である「鉄砲戦」に特化した造りになっておりまして、お城の2階から3階の四方には、このように至る所に、鉄砲の撃ち口が設けられておりました。
また、それを表すように、鉄砲の展示品も多数。
腕に抱える巨砲が、射程距離500メートルでほぼ命中というのは、かなり驚くべき精密さですよね。
銃の中のカラクリも展示されておりました。
ちなみに、日本に鉄砲が伝来したのは、皆さんご存知のように、15世紀後半の種子島です。
そして、そこからあっという間に日本全国にその技術が広まったのは、その鉄砲を見た技術者が、その構造と技術を自分の頭で覚えて帰って同じものを作り、さらにそこに自身の藩の個性に合うように、創意工夫を重ねて、また改良品を作っていったからなのです。
当時から、日本人の技術力の確かさは計り知れないものだった事がこれで良く分かります。















そして、お城の最上階に登るのですが、この松本城のまた素晴らしい所は、外敵が例えこの城に侵入したとしても、藩主が住む最上階の天守に登れないようにしてある所です。
お城の3階から4階に登るこの階段は、勾配が約40°でこんなに段差もあるんですよ。







でもこれはまだ写真が撮れているからいい方で、この上の5階に登る階段は、勾配がなんと60°!。
階段の高さもこれより広く、それでいて横幅は狭いから、我々観光客は登る人と降りる人で、もう階段を踏み外さないように自分の身体を支えるだけで精一杯。
階段を登り降りするだけで、相当に足に負担が掛かります。
これなら例え、城に敵が侵入しても上から迎え撃つ事は容易ですよね。
きちんとお城の機能を果たす構造で感心しました。


ただ、そのせいで、3時間に及ぶPerfumeのライブで飛んだり跳ねたりしても、全く筋肉痛にならなかったボクの足ですが、そこでは使わない太ももの前面の部分が筋肉痛になってしまいました。
まだまだ鍛え方が足らないな(笑)。
ちなみに最上階から見る景色はこんな感じ。
回廊もあってオシャレでしょ。





さて、お城を後にして、街なかを歩きますと、最初の写真で分かるように、北アルプスが近いせいで、市内を流れる女鳥羽川を通じて豊富に新鮮な水が流れ込んでいるため、この松本市内は実に水に恵まれており、その水を利用すべく、街なかにたくさん井戸があるのです。























この水は直接飲めるんですよ。
地元の方々が、ペットボトルに詰めている姿を何度も目撃しましたし、ボクも実際に飲みました。
そのままの湧き水ですから、味はミネラルウォーターのような清廉さはなく、雑っぽい感じでしたが、地下水らしく、地上が冷えている時はぬるく感じられました。
これだと夏の暑い時期なら、冷えた水でとても美味しく感じるのでしょうね。






























まだまだ他にも写真はあるのですが、きりがないのでここまで。
昔からの城下町の松本は、街並みも人も落ち着いていて、どこか上品で、すっかりお気に入りです。
次回はグルメ編を書いていきます。