マンションの管理人さんが来週末をもってお辞めになるとわかり、我が家に激震が走りました。
というのも、いつも礼儀正しくて、元気な挨拶が気持ちよく、お掃除もお花の世話もまめにしてくださり、ちょっとしたトラブルなんかには勇敢に関わってくださる、本当に素敵な人だと思ってきたからです。
今日、「本当に寂しいし、残念です……」とお声かけしてみたら、
ありがとうございます、とキャップをとってツルリと頭をなでながら
「からだは元気そうに見えると思うんですが、どうも頭の方がね…素早くついていけなくなってきたものですから、ご迷惑をおかけする前に、と思いまして」と。
聞けば、御歳74歳。そうかあ、まだ是非いてほしいけれど……
残りの日数どうぞよろしくお願いします、と別れて歩く道すがら、ぼんやりと考えていたのです、「なんでこんなに名残惜しいんだろう」って。
(実はちょっと涙が出てしまった)
先日泊まったホテルでは、アレクサにお願いごとをしたら可愛いロボットちゃんがバスタオルを配達してくれて。それで十分でした。
企業でも無人の受付がほとんどだし、これからもあらゆる場面で無人化が進むでしょう。
一方、74歳の管理人さん。
確かに頭の回転は遅くなっているのかもしれない。けど、そこに居てくれるだけで何かがある。
……そう。「安心感」だ。
私は、あの管理人さんに安心感をいただいていたのだなあ……ってことに気がついて、またジワッと涙が出てしまいました。
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私が探求しているソマティック(身体性)の領域では、「安心感」についても扱います。
自分の内側に安心感を育むにはどうするか、その安心感を自分のベースにもって世界と関わることの意味などをお伝えしています。
安心感は左脳的知性ではなく、身体的知性。
言葉ではない、肚で感じるものなのです。