小説『stray sheep』先頭へ

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「その二人はどうなるんです?」

 

 

「ん? 千代子はここに須永とその母親を招待する。鎌倉にね。そこには高木って男も来てて、須永は簡単にいうと嫉妬するんだ。それで千代子に手酷いことを言われる。いや、悪いのはどう考えても須永の方だけどね。愛情をひとりでこじらせて、拒絶しつつも嫉妬だけはするんだから、そう言われて当然だ。ただ読んでるとその言葉は胸に突き刺さる。『あなたは卑怯です』って言われるんだよ。『愛してもいず、結婚する気もない私になぜ嫉妬するんです』ってね」

 

 

 深く息を吐き、高槻さんは門の中へ入っていった。石段の脇には萩が植えられている。紫がかった花は泡立つように咲いていた。

 

 

「それで?」

 

 

「いや、そこから先はよくわからない。『須永の話』はそこで終わるんだ。まあ、後日談みたいなのは語られてるけどね。ただ千代子との話ではなく、須永自身の性格や彼の母親のことが中心になってる。須永と母親は仲のいい親子に描かれてるけど実の親子じゃないんだ。それが彼の性格を決定づけるひとつの要因になってるんだろうと思わせる話さ」

 

 

 高槻さんは目を伏せている。石段は急で、上がるにしたがって明るくなっていった。

 

 

「漱石先生は幼い頃に養子に出された。そこで養父母に育てられてる。だから、――いや、だからという単純な繋がりじゃないだろうけど、先生の書くものには親子間の問題がちらちらとあらわれる。『三四郎』の広田先生もそうだし、『虞美人草』の主人公も義理の母や妹と暮らしてる。でも、先生はそれらで経験をそのまま書いてるんじゃない」

 

 

 登り切ると御堂があった。古いガラスは均一でなく、内側の明かりに歪みを強調されている。近寄っていった姿も歪んでみえた。

 

 

「そういえば、さっき書きはじめたって言ってたよね」

 

 

「はい、まだすこしですけど」

 

 

「どこからはじめたの?」

 

 

「高槻さんが詩を褒めてくれたところから」

 

 

「そうか」

 

 

 顔が向けられた。ガラスにそれは映ってる。握りあわせた手も歪んで見えた。

 

 

「ひとつだけお願いしてもいいかな? その小説には僕も出てくるんだから、それについてのお願いだ」

 

 

「はい」

 

 

 遠くで鳥が鳴いた。尾長だろう、それは短い叫びのようだった。私は目をそらした。実際の私たちは歪んでなんかいなかった。しっかりと手を繋ぎあった二人がいるだけだった。

 

 

「僕はヒーローの出てくる話が好きじゃない。困ったときにそういうのがあらわれて解決してくれるのが嫌いなんだ。地べたを這いずり回ってるような人たちの話が好きなんだよ。実際だってそうだろ? 誰も助けてなんかくれないんだ。それでもなんとかして生きてる。困り切ったり、苦り切ったりしながらね。状況だって変えられない。異世界へつづく扉なんてどこにもないし、僕たちは生まれたときに定められたものから逃れられない」

 

 

 御堂を離れ、私たちは石段の前に立った。そこを登ってきたとは思えないくらい門は遠く見えた。

 

 

「僕はどこにでもいるようなただの男だ。それが君みたいな子と知り合ってこうなった。僕は助けたわけじゃない。好きになっただけだ。そういう話ならいいだろう。事実を――すくなくとも君にとっての事実を書いて欲しいんだよ。希望は入れず、人物描写にも臆測を入れず、それに、なによりも自分に嘘をつかず、事実に近いものを。それはきっと難しいに違いないけど、そうやって書いて欲しいんだ」

 

 

 指を絡めあわすようにして私は門を眺めていた。いまにも足許がぐらつき、落ちていってしまうんじゃないかと思いながらだ。

 

 

「タイトルは決めたの?」

 

 

「はい、『stray sheep』にしようと思ってます」

 

 

「ああ――」

 

 

 間延びした声を出し、高槻さんは微笑んだ。

 

 

「それはいい。僕たちは迷子だったんだから。ま、今もそうかもしれないけどね。――いや、きっとこれからだってずっとそうなんだろう。僕たちは群れから離れ、荒野を彷徨ってる二頭の羊なんだ」

 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。