「あの、もう少しっていうか、もっとずっとわかりやすく話してもらいたいんですけど」
「ああ、ごめん。つまりだね、漱石は小説を書くにあたって、――いや、すべてじゃないけど、たとえば『三四郎』や『それから』を書くにあたって、自らの経験を脇に退け、人間自体を書こうとしたんじゃないかってことだよ。その人間自体ってのは理念的なもので、」
また手が挙がった。高槻さんはもじゃもじゃの髪を掻き回している。
「わかった。理念的ってのがわかりにくいんだろ? そうだな、じゃあ篠田さんの書いてるもので話そう。君はさっき季里子が怖れるところを書きたかったんだって気づいたわけだ。だけど、それ以前にはどう思ってた? 季里子の目撃するシーンを経験してないことに引け目っていうか、単純に書けないんじゃないかって思ってたんだよね。ただ、経験したことによって君の書く季里子は変わった。それは地べたに影響を受けすぎてるからだよ。そうじゃなく、人間ってのはこういう場合どう動くかって考えるんだ。想像するんだね。それもただ想像するんじゃなく芯を持って考えるんだ」
眉をひそめ、新井田先生は横を眺めるようにした。手は前へ伸ばしかけている。
「漱石はその芯がいささか強すぎるんだよ。だから登場人物同士の関係が対決のようになるんだ。ほら、関係が深くなると狎れ合いってのが出てくるもんだろ。要求を撥ねつけたくても仕方なく応じるってことはありがちだ。経験にしたがって書けば登場人物もそういう行動をとりたがってしまう。広田先生みたいな人物はそういうのを嫌って、だけど、この世界に生きてる限りはどこかに狎れ合う部分も出てくるから多くの人に背を向けて暮らしてるんだろう。そういう人物は漱石の小説によく出てくる。世間擦れしてないんだ。思想であるとか信条に縛られて、あるいは過去にとらわれてでもいいけど、他者との関わりを避けてる。それも対決的なものがある前提でのことだよ。だけど、篠田さん、そんな人間が実際いそうに思える?」
未玖は首を傾げてる。見つめられてるのは気づいていないようだった。
「うーん、いなさそうに思っちゃいますけど」
「だよね。だけど実際にはいなくていいんだ。それこそ理念上の存在でいいんだよ。ただ、広田先生はあの本の中で確かに生きてる。身近にまったく同じ人はいないけど、どこかにいてもいいように思えるだろ? 漱石の凄いところは実際にはいなさそうな人物をいてもよさそうに書いてるとこなんだ。それは人間理解の正確さと、きちんと芯を持った想像力によって出来ることなんだよ」
言葉を切ってから高槻さんは首を曲げた。新井田先生は腕をおろしてる。
「なんです? なにかありました?」
「あ? いや、なんでもないよ。ま、気になることはあったが別にかまわんだろう。俺はただの国語教師だからな。しかし、半田、お前もそろそろ大人っていわれる年になるんだ。大人ってのはな、自分の行為に責任を持たなきゃならんのだよ。俺の言いたいことわかるか?」
「えっと、まあ、なんとなくは」
「かわいい教え子を泣かせるようなことしたらただじゃ済まないぞ。こう見えても俺は居合いをやってるんだ。本身の刀も持ってる。お前の大事なとこをすぱっと斬ることもできるんだからな」
「やだ、変なこと言わないで。そんなことしたら、私、もっと泣くもん」
高槻さんは口をあけて笑った。先生も薄くだけ微笑んでいる。
「新井田さんはそれくらい生徒思いでもあるってことだよ。――ところで、今のでわかってもらえたかな?」
「うーん、だいたいはわかったのかな? だけど、昴平さん、実際のところ私はどんなふうに書けばいいって思います?」
「ま、自らの経験を脇に置いて季里子になりきるんだね。最初のときはあれでいいんだ。嫌悪感が程良く出てるって思う。でも、その後になるとそれこそ怖れを感じてないように思えちゃうんだ。さっき自分でも言ってたろ? 自分の中にあるもの、だけど気づいてなかったものを季里子は感じてるはずなんだ。そういう感覚――目の前で行われてることに嫌悪を感じながら惹かれてしまってるというのをあらわすことができれば、あの話はもっとずっとよくなるはずだよ」
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