小説『stray sheep』先頭へ

      ← 前話へ                 次話へ→      

 

 

 

「はい、出来上がったわよ。そうね、蒼い樹スペシャルってとこかしら。ほとんど全部乗せちゃったから」

 

 

 大きなお皿には盛り沢山の料理が詰め込まれている。後ろから覗きこみ、昌子さんは肩を叩いてきた。

 

 

「ああ、それくらいでちょうどいいのね。結月ちゃん、私が出したのって、その彼のより多かったわよね? だけど、そっちの先生はそれくらいで足りるの?」

 

 

「いやぁ、充分すぎるくらいですよ。いえね、妻が大量に料理をつくってくれるんで空けとかなきゃならないんです。その、あまり食べないとむくれるんですよ。『お口に合わなかったのかしら?』なんて言って、こう、手の甲をつねったりしてね。それが、いやぁ、なんとも可愛らしくってですね、」

 

 

 そう言いながら先生は首を曲げた。目は細くなっている。

 

 

「なんだ? 篠田、なにか言いたいことでもあるのか?」

 

 

「いいえ。結月はなにかあるかもしれないけど、私はなんにも」

 

 

 肘で押したものの未玖はスプーンを動かしてる。スピーカーからはピアノの音が流れていた。

 

 

「しかし、お前たちはほんと仲がいいな。見た目も性格も違うのにまるで本物の姉妹みたいだ」

 

 

「そういうのけっこう言われる。で、先生、どっちがお姉さんっぽいって思います?」

 

 

「そうだな、一見すると篠田に思えるが実際のとこは落合の方なのかな。ま、落合はしっかりしてるし、落ち着いてるもんな」

 

 

「それもよく言われる。でも、ほんとはそうでもないんですよ。猫かぶってるだけで」

 

 

「またそれ言うの?」

 

 

 私は口を尖らせた。声をあげて笑い、先生はカウンターを覗きこんでいる。

 

 

「じゃ、あれだな、高槻くん、『三四郎』にこういうのがあったろ? 美禰子について書かれたとこだ。えっと、周囲に調和していけるから落ち着いていられて、どこかに不足を感じてるから底の方が乱暴ってな。落合はそういう感じなのかな? 広田先生風にいえば『落ち付いていて、乱暴だ』ってことになる」

 

 

「やだ、先生、めずらしく先生っぽいこと言ってる」

 

 

「篠田さん、それは失礼だよ。新井田さんの頭の中にもきっちり『三四郎』が入ってるんだ。なにしろこの人は漱石研究会の重鎮だからね。僕がやってたみたいのだってやろうと思えばできるはずなんだ」

 

 

「いやいや、『三四郎』に関しちゃ君の方が断然上だよ。俺はどっちかっていうと後の三つの方が好きだからな。ああ、そういや落合についちゃ、――ま、そう言うと変だが、詩を書いてるのを考えるとこういうのもあったな。ほら『彼岸過迄』に『恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命』ってのがあったろ?」

 

 

 高槻さんは微笑んでいる。目はこちらへ向けていた。

 

 

「ああ、ありましたね。それは『三四郎』にも呼応してるんじゃないですか? 団子坂へ菊人形を見にいく前のシーンですよ。美禰子と飛行機の話をしていた野々宮くんが呆れたように『女には詩人が多いですね』って言うじゃないですか」

 

 

「それで広田先生がこう返すってんだろ。『男子のへいはかえって純粋の詩人になり切れない所にある』――うん、それは呼応してるといっていいんだろうな。それに、その飛行機問答は『それから』にも通じてると思うぜ。野々宮は『そんなことしたら落ちて死ぬだけだ』って言うだろ? 美禰子は『死んだって、その方がいい』みたいにこたえてる。あれは三千代の台詞に似てる。もしかしたらあれは飛行機についてじゃなく、いや、表面上はそうだが、美禰子からしたら野々宮へ跳躍を求めてたんじゃないかな。先に結果を考えて取り越し苦労する男に見る前に跳べって言ってるようにも思えるよ」

 

 

 首を引き、先輩は「いつもこんなこと話してんのか?」と囁いた。未玖は瞼を瞬かせている。

 

 

「ま、これはよく言われることだが、漱石の小説には通奏低音として恐れる男と恐れぬ女というのがあるように思えるね。『彼岸過迄』にはこんなふうに書いてあったはずだ。恐れぬ女は強い感情が湧き出るから自由に振る舞える。で、その同じ感情が重すぎて蹴躓きそうになるってね。恐れる男はそれを深く憐れみ、また戦慄するとも書いてある。ただ、男を『哲人』としてるのは『詩人』の対比なだけで俺に言わせれば童貞の怖れだね。まあ、あれに限ることじゃないが、どうも漱石には童貞臭があるように思えるんだよ」

 

 

 そこまで言って、新井田先生は辺りを見まわした。

 

 

「いや、興奮しちゃったみたいだな。高槻くん、なんで俺がこいつらにこういう話をしないかわかったろ? こんな調子じゃ上に怒られちまうよ。国語の授業くらいダラッとしてた方がいい。真剣に文学の話なんかしようもんなら思わぬ言葉が出ちゃうからな」

 

 

 高槻さんは頬をゆるめてる。それからしばらくはスプーンを使う音だけがしていた。

 

 


小説『stray sheep』先頭へ

      ← 前話へ                 次話へ→      

 

 

 

↓押していただけると、非常に、嬉しいです。
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

  

現代小説ランキング

 
↓↓ 猫と話せ、人の過去が見える占い師による二時間ドラマ風ミステリ! ↓↓

 

 

《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。