「ま、これであっちの方もうまくまとまるといいんだけど」
「あっちって?」
影は際を滲ませている。それは明暗がふたつの異なる状態でないのを教え込ませようとしてるようだった。明暗の間にも幾つかの混じりあった色がある。
「泥亀のこと。ほら、さっきあんだけ言われて、横森さんにも怒られたんだから、ちょっとは反省っていうか、そういうのしてたらいいなって。だけど、ほんとしつこい男だわ。もっとすっきりさっぱりできないのかな」
「小説も絡んでるからね」
高槻さんは先へ降りていった。背中はすこし丸まっている。
「どういうこと?」
「篠田さんも書き直せって言われてごねてたろ。それはただ単に面倒ってのもあるだろうけど、自信があったっていうか、これでいいはずだって思ってたからだよね。彼にもそういうのがあったはずなんだ。それを大幅に直すのは嫌なもんさ。僕だったら句読点の位置すら変えたくない。そういうのは人に指摘されると嫌な気分になるもんなんだよ。だから、それについてはわかる部分もある」
「でも、あいつは、――ううん、もういいや。まだおデブちゃんに捕まってるんだからいい気味ってとこね。うんと反省すりゃいいのよ」
腕を組み、未玖は顔をしかめてる。ただ、階段が尽きる手前から走るように降りていった。
「せーんぱいっ!」
「あ? ああ、終わったの?」
「うん、いま終わったとこ。昴平さん、このお方が私の彼なの。――ほら、自己紹介して」
「あの、半田です。その、ええと、なんていったら、」
「大丈夫だよ、わかってる。いろいろ聴かされてたからね。じゃ、ちょっと待ってて。職員室に寄ってくるから」
丸まった背中を見送ると未玖は溜息をついた。頬は深刻に歪んでる。
「そう、聴いてよ。さっきまたまた泥亀の大暴走があったの。昴平さん最後の日だってのにすっごく嫌な雰囲気になっちゃって、ほんと最悪だった。ね、今度あいつのこと殴ってやって。もうなにも言えないくらいメッタメタにしてやんの」
「なんで俺が殴んなきゃならないんだよ」
「だって、マジでストーカーみたいになってんだもん。――あっ、そうだ! 学校がはじまったら結月も一緒に登校しよ。改札んとこで待ち合わせんの。ね、そうしようよ。先輩がボディガードってこと。泥亀がナイフ出してきたら身体を張って守るの。やだ、すごくかっこいい」
そう言いながら未玖は腕を引っ張ってきた。先輩は階段へ向かってる。
「おっ、半田じゃないか。どうした? なんで篠田と一緒にいるんだ?」
「えっとですね、その、」
木の隙間からはもじゃもじゃの髪が見えた。それからしばらくすると亀井くんが歩いていった。未玖が駆け寄ってくるまで私はそこにいた。
「ああ、やっぱり落合だったか。わかってたぞ。誰かが引っ張られてくのが見えたからな。亀井にも見えてたはずだ。――しかし、困ったもんだな」
新井田先生は溜息をつき、高槻さんを見あげた。
「ほんと困ったもんだ」
◇
「あら、まあ、」
薄く微笑み、順子さんは入り口まで出てきた。昌子さんはひらひらと手を振っている。
「ほんとに来てくれたのね。――ああ、この子が未玖ちゃんの彼? ま、ほんといい男だこと。これじゃ自慢もしたくなるわ。さ、入りなさい」
その後にも「あら、」という声が聞こえてきた。さっきとは違う声音でだ。
「先生も一緒だったの」
「ついてきちゃったんです。私は嫌だって言ったんですけど」
「いやぁ、すみません。高槻くんをお借りしてたお礼も兼ねてですね、いえ、その、お見舞いっていうのもなんですが、あの、一度くらいは来ておかなきゃならないと思った次第でありまして」
「日本語が変ですよ」
そう言って高槻さんはカウンターへ入っていった。私たちは並んで腰をかけた。
「大丈夫なんですか? 順子さん」
「大丈夫よ。たいしたことじゃないの。私もけっこうな年だからたまにお医者に行かなきゃならないの。――ところで今日は先生様もいらっしゃるんだから、もちろん奢りってことよね?」
「あ? ああ、いや、そうなるんでしょうね。うん、お前ら、好きなの頼めよ。ま、半田の分まで出すのは意味がわからんが行きがかり上ってやつだ」
「じゃあ、これまでなかったくらいスペシャルなのにするわ。未玖ちゃんの彼、って、お名前は半田くんっていうの?」
「はい、半田俊希っていいます」
「俊希くんね。その俊希くんは食べられないものとかない?」
「全然大丈夫です。なんだって食べちゃいますから。あ、むしろピーマン多めにしてください。いい? 今のうちに好き嫌いなくしとかないと後で困っちゃうのよ。そうでしょ?」
先輩は肩をすくめてる。順子さんは「わかったわ。じゃあ、ピーマンてんこ盛りにして出すわね」と言いながら厨房へ向かっていった。
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