小説『stray sheep』先頭へ

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 教室に戻ると全員が顔を向けてきた。新井田先生は眉をひそめてる。

 

 

「遅いぞ。十分って言っただろ。もうはじめてたからな。――ええと、どこまで言ったっけな。ああ、そう、俺が気になったのはそこだけだ。しかし、安川もそうとう上手くなったな。前からいい文章を書いてたが、もう一段上がったようだ。こりゃ、けっこう難しいテーマだぞ。それをここまで書けるのはえらいもんだ。ってとこで、高槻くんの番だ。なんかあるか?」

 

 

「そうですね、僕もあまりないので今後のアドバイスだけしておきましょうか。いえ、あくまでもアドバイスだから従う必要はないですよ」

 

 

 顎を引き、安川さんは前髪を払ってる。顔の半分は影になっていた。

 

 

「ほんと、あなたの文章は素晴らしいですよ。正確だし、過不足ない文章です。新井田さんも言ってましたがこれはけっこう難しいテーマでしたしね。それをこのように書けるのはすごいと思います。ただ敢えて言うと視点が単調なんですね。ひとつの事柄にたいする見方が一方的に思えてしまうんです。僕の言ってることがわかりますか?」

 

 

「あ、あの、あまりよくは、」

 

 

「でしょうね。言い方がよくなかったようです。ええとですね、前にも言いましたが文学というのはわかりやすく単純化されて伝えられてるものから取りこぼされてしまった動機を拾いあげる行為でもあるんです。それに人間の複雑な行動原理を探る事とも言ったはずです。これはたとえば善悪に二分するとか、大人はこうで子供はああと決めかかるといったものから離れることでもあります。つまり僕たちが属してる社会の原則や法律は脇へ退け、自己の感覚でものを見るということなんですね。この自己をどのように発展させるかが書き手のテーマでもあるんです。もちろん罪を犯せと言ってるんじゃないですよ。ただ、今回のもののように社会規範から外れた者の行動を書く場合、単調な視点だけでは深みが足りなく思えてしまうんですね」

 

 

 頬をゆるめ、高槻さんは一瞬だけ目を合わせてきた。安川さんは背筋を伸ばしてる。

 

 

「まだわかりづらいですよね? でも、すべて憶えとく必要もありません。これはただのアドバイスですから。しかし、いいですか? あなたは素晴らしい文章が書ける。今回のもいい出来なのでこのまま完成でいいでしょう。ただ、今後書くときには登場人物の動機をもっと複雑に捉えた方がいいかもしれません。表面にあらわれることはわかりやすくていいんです。だけど、それがあらわれるための動機はもっとあるんだという視点を持つことです。それには経験を、小説を書く以外の経験を積むべきですよ」

 

 

 そこで言葉を切り、高槻さんは窓の方へ目を向けた。

 

 

「これは後で言うのと矛盾するかもしれませんが、経験を積むことで書き手は様々な視点を得られるんです。書いてるだけだと想像力が養われるのみで地に足のついた人間理解から遠退く怖れがあるってことです。安川さん、もっと自信を持っていろんなことにチャレンジしてください。そうすればあなたの書く小説はさらに素晴らしいものになりますよ」

 

 

 薄暗い中でも頬に赤みがさしたのがわかった。瞼は激しく瞬かれている。ただ、幾分はっきりした声で「あ、ありがとうございます」と言った。

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。