「では、その部分を読んでいきましょう。すこし長いので区切って読みますね。二百六十六ページです。教授にする運動の顛末が終わり、広田先生はこう切り出します。
『「僕がさっき昼寐をしている時、面白い夢を見た。それはね、僕が生涯にたった一遍逢った女に、突然夢の中で再会したという小説染みた御話だが、その方が、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」
「ええ。どんな女ですか」
「十二、三の奇麗な女だ。顔に黒子がある」
三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。
「何時頃御逢いになったのですか」
「二十年ばかり前」
三四郎はまた驚いた。
「善くその女という事が分りましたね」』
この後で広田先生は夢の話をするのですが、そこには美禰子と三四郎の関係を思わせる部分が含まれてます。これも非常に巧いやり口ですよ。読みます。
『「夢だよ。夢だから分るさ。そうして夢だから不思議で好い。僕が何でも大きな森の中を歩いている。あの色の褪めた夏の洋服を着てね、あの古い帽子を被って。――そうその時は何でも、六ずかしい事を考えていた。凡て宇宙の法則は変らないが、法則に支配される凡て宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物の外に存在していなくてはならない。――覚めて見ると詰らないが夢の中だから真面目にそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に逢った。行き逢ったのではない。向は凝と立っていた。見ると、昔の通りの顔をしている。昔の通りの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子も無論あった。つまり二十年前見た時と少しも変らない十二、三の女である。僕がその女に、あなたは少しも変らないというと、その女は僕に大変年を御取りなすったという。次に僕が、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしているという。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。それなら僕は何故こう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時僕が女に、あなたは画だというと、女が僕に、あなたは詩だといった」』
うん、この部分はここだけで独立した物語のようですね。ディテールもしっかりしてるし、それでいてしつこくない。程良い描写です」
水を飲み、高槻さんはふたたび窓際に向かった。その奥には薄い雲の流れる空がある。
「ところで、この部分のどこに美禰子と三四郎のことが含まれてるかはなんとなくわかったかと思います。『その時僕が女に、あなたは画だというと、女が僕に、あなたは詩だといった』というところですね。これは本当に美しい表現です。また『この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしている』というのは広田先生の口を借りて美禰子の心情を述べてるかのようです。絵に描かれつつあった美禰子の姿は三四郎とはじめて会ったときそのものでした。ということは、これを二人の関係に当て嵌めてもいいなら美禰子は三四郎を愛しているか、すくなくとも三四郎とはじめて会ったときの自分が一番好きということになるはずです。ただ、そのことに三四郎は気づかないんです。いえ、気づかなくても仕方ない書き方をしてるんですね。しかし、読み手は気づきます。これは美禰子のことでもあるんだろうなというふうに。このようにして漱石は広田先生の謎を解明しつつメインテーマを織り込んでるんですね。参考にすべき点です。――では、つづきを読みますよ。長いですが辛抱してください」
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