『「それからどうしました」と三四郎が聞いた。
「それから君が来たのさ」という。
「二十年前に逢ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」
「本当の事実なんだから面白い」
「どこで御逢いになったんですか」
先生の鼻はまた烟を吹き出した。その烟を眺めて、当分黙っている。やがてこういった。
「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。幾年かな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。僕は高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだといって、大勢鉄砲を担いで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内へ引張って行って、路傍へ整列さした。我々は其処へ立ったなり、大臣の柩を送る事になった。名は送るのだけれども、実は見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男が僕の鼻を見ては赤い赤いといった。やがて行列が来た。何でも長いものだった。寒い眼の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。その中に今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮んで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年を経つに従って段々薄らいで来た、今では思い出す事も滅多にない。今日夢を見る前までは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼き付けられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」』
ここもディテールがしっかりしてますね。このようにある程度克明な描写には物語を引き締める効果があります。それでいて、その前に夢の話があったからか幻想的にさえ思えますね」
風が出てきた。それは前髪を揺らし、廊下の方へ抜けていった。息苦しさはまだつづいてる。
「で、三四郎はこのように訊きます。
『「それからその女にはまるで逢わないんですか」
「まるで逢わない」
「じゃ、どこの誰だか全く分らないんですか」
「無論分らない」
「尋ねて見なかったですか」
「いいや」
「先生はそれで……」といったが急に痞えた。
「それで?」
「それで結婚をなさらないんですか」
先生は笑い出した。
「それほど浪漫的な人間じゃない。僕は君よりも遥に散文的に出来ている」
「しかし、もしその女が来たら御貰いになったでしょう」
「そうさね」と一度考えた上で、「貰ったろうね」といった。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話出した。
「そのために独身を余儀なくされたというと、僕がその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生れ付いて、結婚の出来ない不具もあるし。その外色々結婚のしにくい事情を持っている者がある」
「そんなに結婚を妨げる事情が世の中に沢山あるでしょうか」
先生は烟の間から、凝と三四郎を見ていた』
ここも参考になるところですよ。『先生は烟の間から、凝と三四郎を見ていた』という部分ですね。心情を直接的には書かず、行為によってにおわせています。読み手の想像を喚起させるやり方です。それに緊張感も出てますね。しかもごく自然になぜ広田先生は結婚しなかったのかという疑問へ繋げてきました」
そこで高槻さんは口を閉じた。教室には音がなかった。誰も動かず、どこを見てるかわからない顔を怪訝そうに窺っている。
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