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家へ帰ると私は高槻さんの小説を読みなおした。それは私が書いた詩と同じタイトルだった。それに芯になってる部分も似てるように思えた。暗いガラスを見つめながら私は初めて読んだとき少し妙な気分になったのを思い出した。それこそ『不思議の因縁』があるように思えたのだ。
『僕はその舌を見た。赤に近い薄桃色をしたそれは唇の形に合わさるように伸び、先を丸めた。そして、舐めるように戻った。煙草に火をつけ、彼女は脚を組んだ。そのとき靴先があたった。僕は背中の傷が疼くように思えた。蛇が蠢いてるように感じたのだ。そいつは身を捩り、ずるずると這い寄りながら、ふたたびあの場所へ導いていくに違いなかった』
救急車が走っていった。なぜか浅くなった呼吸の音を聴いてると様々な言葉が渦巻いてきた。その中には駅のホームで言われたことも含まれていた。亀井くんの言葉もだ。
「人間ってさ、ある程度の年齢になると誰かを好きになるだろ? それがどうして起こるか書きたいって思ってる」
そのとき未玖はニヤつきながらこう言った。
「成長すると人は恋をするようになる。動物が盛るようにね。で、その相手をじっと見ちゃうってんでしょ。身体つきなんかを想像しながらね」
まるで目眩がするようだった。亀井くんはこうも言っていた。
「自分にもよくわからないことが起こってる。なにかが動いてるように思えるんだ。自分の中でだよ」
そうなんだ、私の中にもそれはある。蠢き、身を捩らせ、ずるずると這っている。私は家の中でするはずの音を聞こうとした。それから、タオルを取った。弱く漂う香りを嗅いでると身体の奥に硬い痼りが生まれたのを感じた。頭にあらわれる言葉は明滅し、思考を鈍くさせていった。よろめくようにベッドへ戻り、私は本を開いた。そして、タオルを嗅ぎながらそれを読んだ。
『細い身体を抱きしめ、僕は唇をふさいだ。その瞬間に舌が入りこんできた。蛇のように長く湿った舌だ。粘膜は混ざり、溶けあった。手はなにかを探し求めるように下がり、強く握ってきた。「ああ」と呻きながらベルトを外し、彼女はしゃがみこんだ。蛇はまとわりつき、音をたてて吸いついてきた』
舌は自然と動いた。経験してないことだったけど想像はそんなものを必要としなかった。蛇のように動き、にちゃにちゃと音をたてた。きつく目を閉じると、また幾つもの言葉があらわれた。それは痺れて暗くなった思考の内でネオンサインのように煌めいた。
「成長すると人は恋をするようになる」
そう、私は恋をしてる。
その感情は肉体の感覚をともなったものでもある。それまで打ち消そうとしていたのとは違って、肉体に根づいたものなのだ。私はそれが在るのを感じた。蠢きながら導こうとしてるのもわかった。どこに導かれるかは知らない。いや、知る必要なんてない。罪であってもかまわない。だったら罰を受けるまでのことだ。
「ふうっ」
ベッドに起きなおり、私は首を振った。――どうかしてる。私はそうなってはいけないんだ。それに高槻さんが私みたいな子供を相手にするとも思えなかった。
スマホが震えた。未玖からのラインだった。
『さっきはごめん。気にしてたら悪いと思って』
『ううん、気になんかしてない』
『だけど、昂平さんがいい人だってのはその通りでしょ。もし結月が本気なら応援するし、なんとかしてあげるつもり』
画面を見つめ、私は薄く笑った。それから、こう書いて送った。
『明日はどうするの?』
『わかんない。けっこういろいろ考えたけどまとまらないの。ま、メスの本能に任せることにするわ。明日またラインする。それまで楽しみにしてて』
私は画面にあらわれた文字を見つめた。それは歪んでいった。ひとつひとつが揺れ動き、ぽろぽろと画面から零れてきそうに思えた。
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