小説『stray sheep』先頭へ

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「いや、前回は込み入った話をしたので章の最後までいけませんでしたね。時間配分の難しさを痛感しました。ほんと反省しています」

 

 

 窓は少しひらかれ、風が鳴っている。私の席からは校門近くのヒマラヤ杉が揺れてるのも見えた。

 

 

「それにしてもすごい風だ。台風って言ってましたもんね。今日は是非とも時間通りに終わらせなきゃなりませんよ。では、さっそくみなさんの作品について話しましょうか」

 

 

 高槻さんは寸評をはじめた。ただ、細かな指摘しかしないのでどのような話かわからなかった。たとえばこんな感じだ。

 

 

「うん、横森くんのはいい進捗具合ですね。僕が気になったのは三章の冒頭部分だけです。この書き方だと視点が定まらないように思えます。ここは見えた順に書いた方がいいんじゃないですか? その方が視点が統一されて読みやすくなるでしょう。どうですかね?」

 

 

「ああ、なるほど。確かにそうですね。いや、別に問題ないです。ちょっと勿体つけて書こうと思っただけですから」

 

 

「なんとなくそうなんだろうと思ってました。しかし、枚数制限を考えるとここはすっと書いてもいいんじゃないでしょうか。そこを換えるだけですっきりするはずですよ」

 

 

 こういう感じだったから内容まではわからないのだ。柳田さんはそれが気になるようであちこちへ目をはしらせている。高槻さんは頬をゆるめた。そして、このように言った。

 

 

「新井田さんに聴きましたが、今回の部誌には文学作品を書くようにとのお達しがあったようですね。魔法や目からビームが出るのは駄目だってね。柳田くん、そうなんでしょう?」

 

 

「あ、はい。そのようにして欲しいと言いました」

 

 

「しかし、僕はそのような指導をしてません。個別に話したとき柳田くんにも言いましたよね? 自分がいま書きたいと思うものを書いてくださいと。まあ、目からビームが出るというのはどうかと思いますが、それがその物語に絶対不可欠ならいいでしょう。要は真に必要なものを書いてるかってことなんですよ。なので、みなさんも自由に表現してください。小説というのはそういうものですから」

 

 

 高槻さんはひとりひとりに目を向け、最後に微笑んだ。

 

 

「以前、ライトノベルについての質問がありましたね。そのとき僕は作家を三人挙げました。まあ、読まれてない方が大半でしょうが、どうしても線引きするというなら彼らの小説はライトなのかもしれません。しかし、読んでもらえばわかりますがそれらの作品はとてつもないですよ。人間にたいする深い理解があるからです。魔法や不可思議な力の作用なんかが出てくる物語にも優れたものはあるんです。古典となってるのがたくさんね。だから、みなさんも書いてるものがどういう立ち位置なのかなど考えず、真に表現したいことを書いてください。人間にたいする深い理解がありさえすれば、それは優れた小説になるのですから。――ということで、寸評の時間を終えます。いま指摘したことを踏まえてつづきを書いてください。では、『三四郎』に移りましょう。ええと、百七十三ページの途中からでしたね」

 

 

 教室はいつもにも増して静かだった。誰もがまわりを見たいのにできないといったように固まっている。高槻さんは本を取り、うわずった声で読みはじめた。

 

 

「『ところへ玄関に足音がした。案内も乞わずに廊下伝いに這入はいって来る。たちまち与次郎が書斎の入口に坐って、
「原口さんがいでになりました」という。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかも知れない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出て行った。

 

 与次郎と敷居際で擦れ違って、原口さんが這入って来た。原口さんは仏蘭西フランス式の髭を生やして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっと奇麗な和服を着ている』」

 

 

 湿った風が吹き抜けていった。どんよりした雲は窓の端まで広がっている。じきに雨の降るのがわかる色だった。

 

 

 

 

「もういいでしょうか。では、ここはさっさと終わらせてしまいましょう。これまで名前だけ出ていた原口さんという画家が登場しました。彼は与次郎に連れられてくるわけですが、これも広田先生を教授にする運動の一環なんです。はっきり見えるように書かれてませんが物語はこのように動いてるんですね。で、このシーンでより重要なのは原口さんが『こんだ一つ本当の肖像画を描いて展覧会にでも出そうかと思って』と言った後に出てきます。直後に『あの女が団扇うちわかざして、木立をうしろに、明るい方を向いている所を等身ライフサイズに写して見ようかしらと思ってる』とありますね。これはみなさんおわかりでしょう。では、落合さん、この台詞はすでに出ていた場面を示してますが、それはどういったシーンでしたか?」

 

 

 私は顔をあげた。高槻さんは目を細めてる。

 

 

「はい。三四郎と美禰子がはじめて会ったシーンです」

 

 

「そうですね。ちょうどその部分について落合さんに質問したのを思い出しました。美禰子の色彩のことでしたね。夕日や赤煉瓦を強調し、全体的に赤を想像させる中に何色ともわからないが『奇麗な色彩』をまとった美禰子が立っていた場面です。当然のことに三四郎にとっては印象深いものに違いありません。しかし、これまた直後にはこうあります。

 

『三四郎は多大な興味を以て原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇を翳している構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった』

 

 これは少々とぼけた感じですね。まあ、三四郎ならそう思うのかもしれませんが、けっして『不思議の因縁』などではないはずです。いえ、この部分は非常に巧く書いてあるんですよ。とぼけた三四郎の感想があり、広田先生の否定的な意見を挿し挟んでから、その構図は美禰子の意思に因るものだとつづくんです。そのくせ、その感想は書かないんですね。そして美禰子もそろそろ結婚した方がいいなどという話題に流して、絵の構図については切って捨ててます。なぜ美禰子がその構図を求めたかはわからずじまいにしてしまうんです。まるで読者の方で好きに考えてくれといった書き方ですね。その後につづく件はやはり広田先生を教授にする運動のあらわれです。それから第一の世界から久しぶりに手紙がきましたね。章の最後にはこうあります。『その中には東京はあまり面白い所ではないという一句があった』――うん、いい終わらせ方です。これがあるとないとではまったく印象が違ってしまいます。非常に巧いですね」

 

 

 高槻さんは外を眺めた。小さな雨粒が風に流れてる。

 

 

「ああ、早かったですね。もうちょっともつかと思いましたが降りはじめたようです。でも、ちょうどいいかもしれません。これから読む章には雨のシーンが二回出てくるんですが、その後の方はかなり印象深いものなんです。そこを読むときには小説と同じように濃い雨になってることでしょう。――では、八章に入ります。ここの出だしもいいですよ。

 

『三四郎が与次郎に金を貸した顛末は、こうである。
 この間の晩九時頃になって、与次郎が雨の中を突然って来て、冒頭あたまから大いに弱ったという。見ると、いつになく顔の色が悪い。始めは秋雨に濡れた冷たい空気に吹かれ過ぎたからの事と思っていたが、座にいて見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しくしょうちんしている。三四郎が「具合でも好くないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような眼を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。

 

「実は金をなくなしてね。困っちまった」』

 

 このまま、百九十ページの頭まで読んでください」

 

 

 薄く笑いながら高槻さんは窓の方へ向かった。隣を見ると未玖は頻りに溜息をついている。

 

 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。