3月11日の記録 | この先 食とともに お気楽 極楽に生きていく方法

この先 食とともに お気楽 極楽に生きていく方法

これからの自分の人生を、自分でデザインしていいんです。
14年のお米の会社のお客様相談室経験と管理栄養士の資格と30年を超えた社会人経験の合わせ技で、
心と日々に栄養とうるおいと、お気楽 極楽に生きて行く方法をお伝えしています。

なんとも言葉にしようのない世の中、自分の状況です。


被災された方のことを思えばと思い日々送っています。




以下は自分の記録として書いておく。




11日(金) 




神奈川県の職場で地震。 あまりの揺れに外にでる。営業車が勝手に動いていた。




電車は止まり、帰る手段を失う。




そこで、車で帰宅する人の車にのる。もろろん渋滞だ。




その車の中で実家(四国)へ電話。つながった。






移動を控えるようアナウンスが出ていることを知る。




テレビを見る時間の余裕はなかった。夫には連絡とれず。






翌日の仕事が気になり車をおりる。歩きながら携帯で駅前のホテルを予約。




そのまま小一時間歩いてホテルへ。


フロントには人が溢れていた。 ネットの予約は機能していなかったのだ。




ホテルのスタッフにかみついている人もいたが大方は諦めて出て行った。




私も諦めて外へ。同様に諦めた会社の役員(群馬在住)にばったり遭遇。


たまたま神奈川に来ていて地震にあい帰れなくなったのだ。




とりあえず二人で晩ご飯を食べにいく。




1件目 同じような帰宅難民で入れず。 2件目 ガスが止まって閉店。 3件目 簡易コンロでの調理のため時間がかかるとのこと。




4件目でやっと入れる。ここは焼肉店。座れたが地震でスタッフが来れず、店はてんてこまいだった。






連れ合いには携帯では連絡が取れず。 




近所に住む妹のブログにコメントを書き込み無事を知らせ、いくつかやりとりを。


また、彼女には家に行ってもらい、夫に無事と帰れないことを伝えてもらった。




食後、今晩は会社の休憩室で泊まることを決め、職場に残っている人用にコンビニでカップ麺をいくつか購入。


*私のいる職場は50人以上働いているが、ほとんとが車で来ているため、


 残っている人は仕事が残っているためで、私のように帰れない人はほとんどいない。




唯一動いていた路線バスで職場に戻る。




残っている人も減り、泊りは帰宅難民の3人。




1時過ぎに応接室に休む。ソファーにひざ掛け、ジャンパー、ダウンを来て。






しかし、この職場、夜中も配送関連業者が出入りしており、人がずっと動いている。


なかなか寝付けず。




2時、4時、夕方や12時ごろメールを送った人の返信が届いて目が覚める。




発信は20時前後や12時ごろだった。






5時、群馬住人がどうしても帰るので営業車の鍵を出して欲しいと起こされる。




6時、電話に起こされる。配送業者の長からの連絡電話だった。




7時、納入業者から今桶川(埼玉)との電話で起こされる。




8時、あきらめて起き上がる。 隣りの部署の長に朝マックをご馳走になる。  



今日はここまで。