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KINO’s LIFE~パニック障害と日常生活~

パニック障害・躁鬱の気があるKINOです。
中学生頃から患っているので年齢の半分は患者歴のアラサーです。
思うところと、自分の趣味と、色々書いてみたいと思います。
お仲間がいたら嬉しいです。

思えば中学でいじめにあい、また両親が理解を示さず板挟みになったから色々な症状を発症したものの治療が遅れたり、追い詰められたり。

14歳にして胃腸の不快感も出ていた為、総合病院の小児科を受診した時に制服で隠していた手首の傷をあっさり医者に見破られ、その件には触れずに少し距離を置く為に入院を勧められた時
どこの病院に行っても医者には良い顔をして
家では「なんで余計なことを言うの!」
と怒りちらすヒステリックな母親が
「顔を見るのも疲れるのでどうぞ」
と翌日入院とあっさり決まった。


そもそも中学受験も家族が幼い頃から刷りこんでさせたもの。合格したものの、2年目にして思春期の不協和音からのいじめにより不登校児へと脱落。
6年間の私の夢に見ていた学校生活は地獄に変わった。

とはいえネームバリューにしがみつく親や祖母の圧力により単位ギリギリの出席でやりすごし無事卒業。

名門校の落ちこぼれ。

友人はみなその後もさすがエリート人生に結婚と順調。私はなんだ?やはりダメなものはダメなのか。

私は短大生時代を自宅を離れ病気なんてなかったかのような生活を謳歌し、地元に連れ戻され就職したが時代が時代で退社に追い込まれた。
その頃再び体調不良をきたしていました。

そして公務員になれと言われ5年間受け続けるも補欠にしかなれなかった。
都内へ行ったり、年々プレッシャーがかかり、つうに過呼吸とパニックを再発してしまった。
高速バスにハァハァしながら三時間乗ったり、地獄だった。その恐怖心から再び乗れなくなってしまった。学生時代は高速バスや電車、新幹線で1人でスイスイだったのに。

両親ともそもそも不仲だったが家にいる時間が増えて衝突も増える。

勉強しながら始めた臨時職員も、家族からしたら遊びと同じ。蔑まれることが多かった。

「まともな社会人になれないお前に人権などない。」

そう言われてきた。

「昔は優秀だったのに」
「人様に見られたくないから家からでないで」
そんなことばかり言われて治るわけがなかった。

他の兄弟も両親の態度を真似し、姉とは思わず家政婦のようなものだと思っていたようだ。
恥ずかしくて友人には兄弟は二人だと言っていた。

そして下の二人は親の期待通り医学部へ進学。
ますます医者と下僕の兄弟関係。

嫌気がさし、今は実家を出て友人とルームシェアをしている。
試験を受けても無駄だという内部事情を働き始めてから知り、試験も辞めてスッキリしたはずが逆に虚無感と自由をどう過ごせばいいのかわからない。
遊び方がわからなくなっていたみたい。
そして1人で居ることに不安を覚え留守番が少々苦手。

私の人生何が楽しかったのか、よく覚えていない

むしろ過去の元気だった、自分は誰なのか?

時々思う時がある。