「悪いけどな。あと1時間くらいかかるぞ」

タクトは椅子を少し動かしてガクの方を向き、答える。

「え?あと30分で定時だよ」

ガクはわけがわからないという顔をした。

「忙しいんだよ。オレのデスクの資料を見てみろ。すごいだろ。まあヒナタさんのところはもっとすごいけどな」

 

「本当だ。あ」

ガクはデスクの資料に目を落とした後、ヒナタの顔を覗き込んだ。

「ヒナタさん、まぶたの色が変わってる。おしゃれだね」

「ふふ、ありがとう」

気付いてもらって嬉しいという気持ちが前面に出ているヒナタの顔を軽く見やり、タクトは眉をひそめる。

「え、変わってますか?」

「鈍感だなあ、兄ちゃんは。そんなんだから彼女ができないんだよ」

「一言多いぞ、ガク。なるほど、アイシャドウを新しくしたってことですね」

 

「そうよ。秋冬限定なの」

すでにパソコンの画面に視線を向け直していたヒナタは、自慢げに言う。マウスを左手で軽く持ち上げた姿勢のまま、横目でタクトを見やった。

「なるべく急いで終わらせてね。残業はあまり良くないから」

 

「じゃあさ、ひとまず戻るね!ボクは終わったらカイ兄と一緒に行くね。席取っとくよ。兄ちゃんは後から直接店に来て。帰る途中の、『いたくら』っていう黄色い看板のお店、わかるでしょ?」

ガクはよどみなくすらすらとしゃべる。仕事の手を止めないように気をつけながら、タクトは「ああ、あそこか」とだけ答えた。

「んじゃ、よろしくー!」

そう言ってガクは立ち去る。背を向けているので見えないが、妙に不規則な足音からスキップしているのが分かった。ドアが開き、閉まる音が続く。

 

「良かったじゃない。あそこ、人気の店だから結構並ぶのよ。30分くらい後に行ってちょうどいいくらいかもね」

山積みされた資料の山から数枚を抜き取り、めくりながらヒナタが言う。

「あ、そうなんですか」

「麺は細麺を選んだ方がいいわ。トッピングにチャーシューとキクラゲを忘れずにね。あるのとないのとでは全然違うから」

「ヒナタさん、ひょっとして常連なんですか?」

「ち、違うわよ?社員がよく行く店だから、話を聞くだけ。いいから急ぎなさいよ。勝手にあなたのぶんまで注文しかねないわ、あの子」

「確かに。伸びたラーメンほど残念なものはないですね」

タクトは画面をにらみながら、テンポよくキーボードを叩いた。

 

 

 

 

〈おまけ〉

世田谷に住んでいた頃、家から少しあるいたところにパイメン(漢字だったはずですが忘れました)というラーメン屋さんがありました。

かなりこってり系の豚骨ラーメンで、細麺と太麺を選べたのですが、周りはみな細麺を注文。私も最初の何回かは細麺で頼んでいたのですが、途中で飽きてきまして。

ある日、気まぐれに太麺を注文して食べてみたのです。

 

「あれ?なんか違う……」

これが、正直な感想でした。豚骨スープの味は変わらないのに、麺が太くてあまり絡まないせいか、物足りなく感じるのです。

 

 

以来、豚骨スープのラーメンを頼む時は細麺にしています。細麺しか出してないラーメン屋も多いですけどね。これは飛行機に乗る前に、博多空港の近くで食べた豚骨ラーメンです。

 

 

 

 

 

「インセクト・パラダイス」は完全フィクションの小説です。

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