人の心って、正直だな、って、思う。
なんか、優しい気持ちになるとき
なんか、不安な気持ちになるとき
急に元気になるとき
すごく、へこんじゃうとき
いつも、ちゃんと理由があって、、。
お父さんとお母さんと暮らしてると
ううん、教会の人、それから、大人の人、いろんな人見てて
すっごい、色んな正直な気持ちが
出てきてしまう。
そして、大人にちゃんとなれた人は、優しさに守られた時期が人生で、沢山あったはずなのに、
なぜか、強すぎることばで
人をいさめようとする人が多すぎる。
絶対違う日本語の方が、その人優しいきもちのまま
反省できるわ、って、いうような
不思議な言葉の使い方。
その言葉で自分も反省より、反抗になっちゃうわ、って、いうような言葉、
なぜか、人間って人には言ってしまいやすい。
そこだけ変えたら
日本から、犯罪すごいなくなると思う。
なんか、違う、そっちの注意の仕方じゃないよ、
って、いろんな人や、現場で言いたくなる。
私がじゃあ、できるか、って、できるわけでもないんだけど。
でも、受け止めてもらう、受け入れてもらう、
甘すぎない普通の、ほんとの優しさで
包んでもらうって
だれにでも、時々必要な気がする。
これが、教会にほんとにあったら、教会くるひと
山のようにいると思う。
宣教活動しなくても。
(私は生まれた時からクリスチャンのなかで育ってます。宗教のなかで、良いものと悪いものをいっぱい見ました)
教えようとするんじゃなくて
自分ができてる大人みたいに話すんじゃなくて
みんな、それぞれ間違ってる
って、いうか、自分にもできてないところ
いっぱいあることわすれたら
どっかで誰かを痛める日本語を使ってしまいそう。
大人も子どもも
だれのこころも痛まずに、
ひとりも欠けることなく全員が、
ほんとの反省が
優しく普通にできる社会、そういう社会がいいな。