kitotan~音の細道

kitotan~音の細道

~耳を澄ませば音の細道~
徒然にモノ書き&ピアノ弾き


暦のうえではきょうが立秋らしい
しかし暑さはまさに今がピークだ

今はこの暑さは9月まで続くから
あと2ヶ月なんとか乗り切りたい

今年は体温超えの危険な暑さが当
たり前のように何日も続いていて

こうなるともう何はさておきまず
身を守ることが第一になってくる

最近は突然バタンと倒れそのまま
息を引き取るケースも多いそうで

これまでの常識を 180℃変えて臨
まないと思わぬことになるらしい

ということで当面は外出は可能な
限り午前中ということにしている

この日も7時前には家を出ようと
いざ出陣玄関を開けた、すると…

ん?すぐ目の前になんだこれは?
最初はオクラのようにも見えたが

目を近づけてよくよく見てみたら
ん?僅かだが少しずつ動いている

ゲゲッ!どうやらカマキリらしい
いったいどこから迷い込んだのか

若いのにずいぶん動きが鈍いから
もしかすると熱中症かもしれない

でも家にあげるわけにもいかない
とはいえここでは生きていけない

ということで外の草っ原まで連れ
ていくことにした、もちろん日陰

これでなんとか食糧にはありつけ
る、あとは日陰から出ないことだ





そのあとやっぱりみんな大変なん
だよなと汗かきかき歩いてると…

おっと!今度はこれに出くわした
灼熱何するものぞの勢いで咲く花

暑ければ暑いほど紅く映えて元気
になっていく不思議なサルスベリ

ヘロヘロになる一方の我々をまる
で鼓舞するかのように咲き乱れる

そして今度は遠くでミ~ンミン♪
蝉だ、合唱の輪がどんどん広がる

そうか、さまざまあちこちでみな
頑張って暮らしを営んでるんだな

この酷暑のなかをそれぞれがそれ
ぞれのやり方で懸命に生きている

皆等しく生きる力を試され与えら
れた命を燃やすこの夏の炎天下…

パリではオリンピックが、そして
甲子園では今日から高校野球が…

そしてもうひとつ忘れてならない
今週は広島と長崎、79年目の夏…






(前回からつづく)

泣く子と地頭には勝てぬ…
ほんとに子供は手がかかる

なので親とすればとにかく
辛抱強くなるしかなくなる

言っても分からないのだか
ら自分を譲らざるを得ない

自分に一々こだわってばか
りいると共倒れになるのだ

こうするうちに親は自他の
バランスの何たるかを学ぶ

一方を打ち消すのではなく
両方が生かされるありよう

言うのは簡単だが特に相手
が子供となればもう大変だ

ただこれも誰かがこの辛い
トンネルを潜らせることで

この先に進むための変わる
チャンスを与えてるらしい

その道をどう通るかで人間
が違ってくるから不思議だ

そしてそれが終わると今度
はその子供が同じ道を辿る

巡り巡って立場を変えて続
くこの苦労の連鎖繰り返し

どう技術が進んでもこれま
た変わらないから不思議だ

……………………………

そんな幼な子の泣き声と娘
の子守唄とを耳にしながら

助けてやろうにもどうにも
できずただここは待つのみ

そして上の子はてっきりも
う布団でおネムと思いきや

おっとなんとまだそこに…
そうかまだ起きてたのか…

見るとそんな妹をよそに独
り俯向いて何かやっている

あまりに集中してやってる
から何かと近づいて覗くと

なんとこれが親のスマホを
使ってゲームをやっている

複雑なジグソーパズルだが
それを難なく器用にサッサ

指を上下左右に動かしなが
らピースを素早くはめ込む

ドラッグ&ドロップ、さら
に回転……何でもござれだ

まだ4歳だが今の子はもう
こんなのは当たり前らしい

少し前まで妹と同じ泣き愚
図ってばかりだったのに…

……………………………

感心しながらここは邪魔せ
ずに一旦引き下がって一服

ん?すると今度は映画のセ
リフらしきものが聴こえる

なんだなんだ、また近くへ
寄って画面を覗いてみると

おお、ジュリーアンドリュ
ース…そしてあの優しい歌

メリーポピンズだ、こんな
幼な子がこんな昔の映画…

ちなみになんでまたこれを
知ってんのと尋ねてみたら

おかあさんと一緒に見たそ
の続きを見てるのだと言う

ディズニープラスでいつも
こうして映画を見るらしい

エルサ、アリエル、ラプン
ツェル…名が次々出てくる

今はラプンツェル以上に髪
を伸ばすのが目標だと言う

それはともかくスマホを軽
々と操っていることに驚く

…………………………

それにしても子供の環境は
我々が育った頃とは大違い

我々の時代はゲームといえ
ばスゴロクとかトランプ…

高価なものでもせいぜいエ
ポック野球盤くらいだった

どれも素朴なモノであって
通信機器などではなかった

テレビが現れた時は驚いて
誰もが腰を抜かしたものだ

それでも操作はせいぜい電
源とチャンネルまわしだけ

今と違い機能もえらくシン
プルで誰にでもすぐ扱えた

当初のテレビは白黒14インチ
よくザーザー画面が乱れた

地方は電波が届きにくくそ
れでも文句は言わなかった

そしてディズニーといえば
確か日曜夜週1だけの放送

その時は近所の子供が集ま
って1台のテレビに群がる

ミッキー、ドナルド、そし
て世界の動物ドキュメント

みんなでキャアキャア言っ
ては手を叩き夢中になった

…………………………

それに比べると今はスマホ
ひとつあれば何でもできる

映画 音楽 漫画 雑誌 ゲーム
スポーツ等々何でもござれ

世界中の何から何までを自
由に見聞きできるから凄い

それも時間や場所に拘束さ
れないでいつでもどこでも

各人の都合に合わせ好きな
時に愉しめるようになった

老いも若きもあらゆる人が
それぞれがそれぞれ愉しむ

ただこのパーソナル化が進
んだことで自由になったが

そのぶん人と人がずいぶん
バラバラになった気もする

多様になったぶん皆誰もが
知るスターもいなくなった

力道山、大鵬、美空ひばり
石原裕次郎、吉永小百合…

それぞれが内向きになるこ
とで興味関心の分断が進み

違いを越え広く繋がるのは
もう難しくなってるようだ

ほんと時代は変わったもの
だ、僅か60年ほどでこれだ

以前を知ってるから余計に
その差を感じるのだろうが

その変化のスピードは今後
さらに加速するに違いない

……………………………

この技術革新と生活の変化
この先はほんと予測不能だ

限りがないとはいえこの先
いったいどこまで進むのか

人類の進歩としてはわくわ
く興味が尽きない問題だが

ただ我々誰もがそのなかで
確実に否応なく歳を重ねる

歳をとると哀しいかな体も
頭も指もスピードが落ちる

運転でも演奏でも若い頃の
ようにやるのは難しくなる

現状の技術ですら付き合う
のが難しくなっていくのに

それが次々新しい技術に変
わっていくと…ありゃりゃ!

この技術の進歩と世の変化
それと自分の間に進む乖離

こればかりはどう抗ってみ
ても如何ともし難い問題だ

これまで先人たちはそんな
狭間をどう生きたのだろう

口には出さずともやはり忸
怩たるものがあったのか…

……………………………

しかし今この時代はそんな
年寄りに対しても容赦ない

買い物にしても現金は門前
払いキャッシュレスを迫る

テレビを買えば当たり前に
ネット連携スマートテレビ

健康保険証ももう紙はダメ
マイナカードはどうしたと

その調子で全体が進んでる
から年寄りは戸惑うばかり

今はとりあえず娘や息子に
さまざま頼ってるようだが

とはいえいつまでも何事も
子供に頼ってもいられない

それが暮らしに必須な事で
自立して生きていくのなら

こうなれば新しい技術にも
一々毛嫌いばかりしないで

自分に鞭打ってでも出来る
限りついてゆかねばならぬ

スマホ PC  オンライン決済  バンキング
Bluetooth ストリーミングミラーリング

やれやれ、次から次となん
じゃらほいという感じだが

あれ?ほとんど通信ものだ
目に見えず触われない世界

しかも対面や電話で相手と
直接関わるのも難しい世界

確かな手触りある物や人を
信じて生きてきた世代には

この抽象的な数字を元にし
た世界は不得手な人が多い

……………………………

かく言う自分も目に見えな
い電気化学は落ちこぼれた

一つ一つ確かめる暇もなく
そういうものだと一方的に

偉い人が発見したからと公
式を憶えさせられた違和感

当面の仮説でしかない数理
を金科玉条の土台に仕立て

そこに器用に築き上げてい
く利便性という名の虚構…

なんてことに一々こだわる
ようでは勉強も嫌いになる

結果、新時代行きのバスに
乗り遅れて独りテクテク…

シンセサイザーが出た時も
買って徹夜続きで試したが

専門用語の多さと操作の細
かさについてゆけずやめた

さっさと言われたとおり憶
えちまえばいいだけなのに

なぜだなぜだと一つ一つ納
得できないとそこで止まる

軽く飛び越えられないのは
やはり性分が無器用らしい

でもそんなことではもうこ
の先は生きてけないようだ

幸い尖って偏屈に振る舞う
しかなかった昔に比べれば

子供に鍛えられて今はまだ
少しは丸くなっているはず

であればここは思い切って
態度のコペルニクス的転回

やれデジタルの何たるかだ
のアナログとの優劣はだの

そんなのは飛び越えてもう
憶えていくしかなさそうだ

一旦は諦め脱線した線路だ
が潔く戻るしかないらしい

線路は続くよどこまでも…
勉強は続くよいつまでも…

……………………………

ということで子供の話から
始まって巡り巡った徒然も

つい饒舌が過ぎてあれま!
ずいぶん長くなったようだ

いずれにしてもすべて子供
が気づかせてくれたものだ

子供というのは新しいもの
にも理屈抜きで飛び込める

それが大人になるとなぜか
一々立ち止まり余計な思案

この面倒なこと考えずにす
ぐ入っていく子供の身軽さ

それでこっちをまだ触発し
てくれる姿は貴重なものだ

であればどんなに歳が離れ
ていようが(おお!60超…)

ここは素直に謙虚に姿勢を
正し孫に一礼するしかない

そんな一礼されても孫には
ナンノコッチャだろうが…

ということでFine、読んで
くれた方お疲れ様でした♪







暑い!ここまでくるともう
熱い!のほうが実感に合う

駅までの10分の道も途中で
ハアハア息ができなくなる

空気が熱すぎるからだろう
肺が受付け拒否をするのだ

人間は連日38℃を生きるよ
うには出来ていないらしい

と思えば昨日は真昼に突然
暴風を伴ってのゲリラ豪雨

雷鳴が轟きあちこちで落雷
停電、倒木、看板の落下…

こんな不安定な天気が続く
とさすがに外はもう危険だ

身を守るためには日中はじ
っと家に籠ってるしかない

ということで今日はエアコ
ンの効いた快適な家の中で

そうしたここ最近の緊張を
ゆるり解き放すこととして

久しぶりに徒然に巡りゆく
よしなし事を書いてみよう

とりあえずまず思いついた
のはなぜかこんなところだ

泣き愚図って親を困らせる
子供そして人類の技術進歩

なんじゃそれという感じだ
がこれが繋がりそうなのだ

これを外の重苦しい暑さを
吹き飛ばすほど小気味よく

なるほどそうかスッキリし
た!と思ってもらえるよう

いや正直どうなるか分から
ないがここは果敢にトライ

もし万一ダラダラ長くなっ
たら御免、休憩を入れて…

あれ?まだマクラなのに長
くなって……まずい…ドン!

  ……………………………

泣き愚図る下の子を娘が抱
っこして寝かしつけている

それでもいつまでもエーン
フギャフギャ泣きやまない

10分…30分…1時間…眠るま
でとにかく親は忍の一字だ

やっと眠りそっと布団に…
そのとたんまたフギャア!

そんなことが繰返されると
ほんと投げ出したくもなる

でもなんとか気を取り直し
また抱きかかえてよしよし

ねんね〜んころ〜り〜よ〜
ねん〜こ〜ろ〜り〜〜〜♪

こうなるともう泣いている
のは子供だけとはならない

子守唄までがなんともか細
く哀調を帯び始めるのだ…

   …………………………

ということで子供が泣くの
はこの夜泣きだけでもない

やれ腹減っただの…やれ抱
っこだの…やれウンチだの…

ということで一日に何回も
何回も、それも激しく泣く

なぜ泣くか分かればまだい
いが分からないことも多い

なかには思いもよらない体
調の異変ということもある

こんな時に困るのはどこが
痛いのか何がどうしたのか

赤ん坊だから当然なのだが
何も言ってくれないことだ

なのでいつもならまあその
うちに泣き止むさでいいが

ん?これ少し違うなとなれ
ば放ってもいられなくなる

すぐ支度をしてタクシーで
救急病院なんてことになる

簡単に子育てと一口に言っ
てもいざその実際となると

親にはどうしてもこうした
人知れぬ苦労がつきまとう

誰か代わってもらいたくて
もなかなかそうもならない

総理大臣に分かってもらい
たくても絶対そうならない

トンネルを潜り抜けるまで
とにかく踏ん張るしかない

こんなこと言うとますます
少子化が進みそうだがでも

こればかりはどんなに世が
進んでも変わらないらしい

   …………………………

そういえば泣く子と地頭に
は勝てぬという言葉がある

子供は手に負えないほど手
のかかるものだという故事

泣き出したらその威力たる
や昔から権力者並みだと…

そんな子供を四六時中、何
年も相手にすればそのうち

親はまずとにかく辛抱強く
なるしかなくなる、そして

世の中はそうそう自分の思
い通りになどならないこと

自分に一々こだわってると
その自分が危うくなること

少し距離をもって見ないと
結局は共倒れに終わること

そんな自他のバランスのあ
りようをこの子育てで学ぶ

要は人は子供に鍛えられて
初めて親になるらしいのだ

誰がそうしたか知れないが
そう出来てるから不思議だ

  …………………………

これは血縁に限らず目上目
下の間ならどれにも言える

そしてそれはさらに人と人
の関係全般に繋がっていく

とすればこの子育ても実は
人がここから変わっていく

そのキッカケを与えておこ
うと誰かが用意したらしい

ただこのせっかくのチャン
スを逆に踏みにじる者も…

ただその道を踏みはずすと
その先は悲惨なことになる

あちこちで絶えない凄惨な
虐待そしてハラスメント…

自分にばかりこだわってそ
のためなら相手を蹴散らす

自制できず結局ずっと自己
中を変えられぬまま生きる

   ………………………

そう考えると自分も確かに
娘にはずいぶん鍛えられた

お陰で尖りっ放しの気性も
少しは丸くなれた気もする

そして今はその娘が子供を
抱えて同じ苦労をしている

役が入れ替わるこの巡りも
また不思議というしかない

どんなに世の技術が進んで
もこればかりは変えられず

延々とそうした営みが繰り
返されてきたことを思えば

これはもう古今東西変わる
ことのない真理なのだろう

ということで「泣く子には
勝てぬ」で始まったこの話

ただ子がどんなに泣いても
親子どっちが勝つかという

そんな単純な二択の構図に
などならないのが子育てだ

放っておけば自他がせめぎ
合って崩壊するこの世界で

子育てを機に自制を学ぶこ
とで自他の均衡共存を図る

それをヨコに広げられれば
なんとか世界も平和を保つ

それをタテに繋げられれば
その世界が持続可能になる

こうしてなんとも摩訶不思
議な人間の子育ての営み…

考えれば考えるほど巧みな
仕組で見事と言うしかない

ほんとにいったい誰がここ
まで考え出したのだろう…

ん?待てよ…こうなってく
るともしやひょっとして…

子供にこんな泣かせてるの
も実はそのためだったり…

(つづく)





連日37℃の埼玉を脱出し函館へ
去年10月以来だから9ヶ月ぶり

前に来た時は首に真っ赤に腫れ
あがった粉瘤を抱えながらの旅

処置をしながらで大変だったが
それも今年1月に手術根治した

あの重い難儀なモノを抱えてい
たのに比べれば今はスッキリだ

あとは…そうだそういえば11月
には娘に2人目の孫が生まれた

生まれた時は軽かったが8ヶ月
の今は抱っこするとズッシリ…

さらに今はあちこち自由自在に
ハイハイしてるから早いものだ

そうだこれもあった、今年2月
風邪かと思ったらコロナ陽性…

2ヶ月ほど咳が続いたがその後
いまはなんとか落ち着いている

クシャミするとまだ胸に響いて
痛むがこの程度なら我慢できる 

こうしてみるとこの9ヶ月の間
にそれなり様々なことがあった

こう振り返れるのも旅がひとつ
の区切りになってるからだろう

どうやらやはり淡々と続く暮ら
しのなかにはこうした何らかの

アクセントになる道標がないと 
来た道は見えにくくなるようだ

   ……………………………

ということで函館に降り立つと
これがなんと気温20℃の別世界

涼しさをこえてこうなるともう
薄ら寒い、なので長袖を羽織る

ただ気温は低いが湿度が80%超
肌寒いのにじめじめ纏わりつく

海の街の初夏にはよくあること
で何かの拍子で湿気に包まれる

これまでも墓参りで(函館は新盆
7月)何度かこれに遭遇していて

函館山の裾野から坂道を少し登
るだけでもう全身汗だくになる

北海道は梅雨がなくそれを目当
てにした旅行者も多いがしかし

この時ばかりは爽やかなイメー
ジとは真逆になるから要注意だ

   …………………………

翌日は用があって鈍行列車でガ
タンゴトン駒ケ岳をぐるり一周

大沼から行きは西まわりの函館
本線、帰りは東まわりの砂原線 

子供の頃はどちらもよく乗った
そもそも特急などなかった時代

えらく時間はかかるがそういう
ものだとしか思ってなかったし

そして乗っていてもいま思うほ
どには意外と退屈もしなかった

車窓の風景も乗降する人たちの
様子も観察してると面白いのだ

これもまだ子供で大人と違って
好奇心に溢れていたからだろう




   …………………………

駒ケ岳は過去の噴火で山頂が吹
き飛び結果今はコブが2つある

その山容が見る角度によって刻
々と変わるから見てて飽きない

ひとつのものが見る位置により
多様な姿になるのが実に面白い

七飯や森の人にとっての駒ケ岳
砂原鹿部の人にとっての駒ケ岳

同じ駒ケ岳でも育った場所によ
ってみんな別のイメージを持つ

自分の場合は北側からあの2つ
コブの美しい容姿を見て育った

それしかないと思ってたのだが
小3から鉄道で函館へ通い始め

このくるくる変わりゆく姿を見
ておおそうだったのかと驚いた

内にいると分からぬことも外へ
出るとこんな発見があるんだと

子供ながらハッと目を見開かせ
られたのを今もよく憶えている

その後のあちこち渡り歩く習性
はここから始まったかもしれぬ




   …………………………

乗り降りする人たちもいろんな
人がいた、汽車通生、背広姿…

一番印象に残ってるのは荷物を
背負った行商の婆ちゃんたちだ

毎日街へ出て野菜だの魚だのを
売ってはまた戻るその繰り返し

その婆ちゃんたちがよっこらし
ょ乗り込んできて向かいに座る

するとなんだ独りこのちゃっこ
い子供はとそう思ったのだろう

「どごさ行ぐ?」そう声を掛け
られてはよく相手をしてくれた

しわくちゃの手で「ほら喰え」
蜜柑を分けてくれたりまでした

今思えばそんなことで世の一端
を少しは垣間見れた感じもする




   …………………………

その婆ちゃんたちは砂原線に多
かった海も山もあるからだろう

ただその砂原線も今回途中の駅
がずいぶんと廃駅になっていた

銚子口、池田園、渡島沼尻……
これら駅舎も昔よく眺めていた

確かに沿線は雑木林だらけで今
は人家もほとんど見当たらない

住んでいたとしてもみな車を使
えば誰も鉄道は利用しなくなる

利用者がいなければ廃止されて
いくのは市場原理としては必然

特に民営化以降道内のローカル
線は次々廃線が予定されている

なんだか寂しいがこれも時代の
いたずらでやむなしなのだろう

子供たちが行商の婆ちゃんと話
す機会なんてもうないのだろう




   …………………………

乗った鈍行列車は1両編成だが
乗客はほんの4~5人に過ぎない

エアコンもなく列車が止まると
あまりの暑さで酸欠にもなるが

ひとたび動き出せば窓から懐か
しい風が吹き込み息を吹き返す

雑木林からの風があまりに心地
よく周囲に人が誰もいないので

ここは思い切って裸足になって
爽やかな風を全身で受け止める

嗚呼そういや子供の頃もこんな
だったよなとうっとりしてると

どこからかパシャパシャ音が…
見ると窓から駒ケ岳を写す若者

声を掛けると東京からだと言う
聞くとやはり一周していると…

なんだか嬉しくなって駒ケ岳と
裾野の歴史につき知るところを

少し教えてあげたら興味がある
らしくむしろ質問攻めしてきた

そうか今どきまだこんな若者も
いたかとなんだか心強く感じた

あちこち興味をもって面倒がら
ずに独り歩いてみるというのは

少なくとも70年代くらいまでは
若者には当たり前の文化だった

この若者になんだかそんな懐か
しさを憶えながらそうだ蜜柑…

代わりに飴をいくつか握らせて
頑張れよとエールを送り別れた




   …………………………

函館へ戻り駅2階の喫茶店から
函館山を望むと姿が見えない…

そうかやっぱり駒ケ岳とは違い
ここは都会の中にある山だった

それにしてもこの隠されよう…
以前は裾野から全部見えていた

どうやらここ最近のインバウン
ドに踊るホテル建設ラッシュで

その欲が勝ってあの美しい函館
の象徴でもある函館山の山容が

すっかり視界から隠されてしま
ったらしいなんとも残念である

行政も市民もこれに対してなん
とかというふうもなくおそらく

しかたないっしょ、いいんでな
かい……と放置してきたのだろう

まあ市民がそうなら部外者があ
あだこうだ言っても始まらない

ここは一緒に、ならしかたない
っしょと諦めるしかないらしい




   …………………………

函館の駅前界隈の惨状は凄まじ
くデパートは全滅、老舗も全滅

大門から松風町にかけては空き
地だらけで歩くのは外国人だけ

僅かに立地するのはインバウン
ド相手のホテルと飲食店のみ…

飲食店もみなド派手な大漁旗も
どきの大看板を掲げ競っている

こうして函館駅前はすっかり都
市の玄関としての地位を捨てて

今ではもう都市の顔でも何でも
なくなってしまっているらしい

あの明治の開港と異文化交流、
連絡船と北洋に湧いた歴史…

それらを通じ培われた函館の良
心ははてどこへ行ったのだろう

   …………………………

最後にバスに乗り十字街経由で
船見町へ、旧市街を通る路線だ

隣の初老の女性にバスが廃止さ
れずいいですねと声を掛けると

これがなくなったら生きてけな
いほんと有難いと話してくれた

買い物や病院など旧市街地はど
んどん不便になるばかりと言う

と思ったら奇しくも移転した市
立病院の空き地の前を通過した

すべて郊外へ郊外へと向かい歴
史ある旧市街は見放されてると

街を持続可能なものとして捨て
ずに大事に使っていく大切さを

この方はそれでも熱く愚痴るの
でなく穏やかな冷静な語り口で

ゆるり品よく話してくれたのが
まだ救いであった…函館の良心








例年だと6月の初旬には梅雨入り
今年はそれがなぜか半月も遅れた

そのせいで農作物にも影響があり
農家も出荷が難しいと言っている

ただでさえ物価高の折にこれでは
さらに調達が難しくなるのだろう

そういえば紫陽花はどうなったか
街を歩いててもあまり目にしない

ではといつもの場所に行ってみる
ありゃやっぱりなんだか冴えない

例年なら今頃はどうだという感じ
で色とりどりに咲いているのだが

その誇らしげな姿とは打って変わ
ってなんだかしょぼんとしている




なんとか1つ2つ花をつけてるの
を見つけたがそれでも笑みがない

やはり普通に雨が降ってくれない
とこんな悲しげな表情になるのか

その梅雨もようやく本格的になり
毎日しとしとと降るようになった

はてこの紫陽花、ここから少しは
元気を出してくれるのだろうか…




そういえばもう半世紀前になるが
巷ではずいぶんこの歌が流行った

見ず知らずの東京に出てきて初め
ての梅雨を経験し戸惑ってた頃だ

銭湯から帰る狭い路地を歩いてい
るとなぜかよくこれを口ずさんだ

その頃の記憶が半世紀経った今も
なお条件反射になっているようで

しとしと降る日が続くようになる
と自然にこの歌が口をついて出る

不思議なもので流行歌というのは
こうして季節の記憶とくっついて

時間を超えていつまでも歌い継が
れるそのようにできているらしい

ということで自分だけかもしれな
いが梅雨にはやはりこの歌が合う

これでも口ずさみながらこの紫陽
花どうなってるかまた来てみよう


◼渡哲也「あじさいの雨」











きょうから6月だ、今年も
もう半ばということらしい

1年のなかではまさに今が
一番過ごしやすい季節だが

しかしそれもあと1〜2週間
もすればあの梅雨が始まる

梅雨時季の最大の問題は一
にも二にも体に堪える湿度

それも体のことだけならま
だいいが食品、衣類、家…

衣食住全般にわたる衛生管
理が必要になるから厄介だ

この難敵に約1か月半は立
ち向かわなければならない

時に紫陽花でも眺めながら
なんとか乗り切るしかない

……………………………

あと6月といえば自分の新
年度はここからスタートだ

税、社保、年金… 役所の動
きがここから始まるからだ

このズレは何かと不便だが
簡単には変わらないらしい

確定申告→所得税→住民税
→社保の順に額が決まるが

所管が国と地方、地方もさ
らに担当が分かれてるから

この一連の流れに2月から
4ヶ月もかかるようなのだ

やはりこの国は掛け声倒れ
のデジタル後進国なのか…

……………………………

それはともかくこうして6
月を迎えて新年度が始まる

年度初めは新旧の入れ替え
で何かと気忙わしいものだ

その一方で自分はもうひと
つ6月にこの更新もあった

契約していたモバイル wifi
5月で3年が満了したのだ

たくさんの会社が取扱って
いるが自分は Broadwimax 

途中盛んに5Gへの機種変を
誘ってきたがスルーしてきた

地域がまだ5Gのエリア外で
そこまでする必要がなかった

5Gは圧倒的に速いそうだが
まだ不安定で評判はよくない

しかし今はスマホはじめ通信 
機器はほぼ5Gになっている

ただいくら上モノが先行して
も基盤がなければ意味がない

なぜか順番が後先で逆転する
のはこの国ではよくある話だ

………………………………

そのwifi、3年前にPCを再開 
した時から使うようになった

光(有線)が一番制約なく使え
ていいが書類だの工事だのと

時間もかかれば手続も面倒で
結局 wifiに決めた経緯がある

ただwifiはこれまでは3日で10
ギガという利用制限があった

今はそれもなくなったらしく
これでずいぶんラクになった

なのであとはまた外へも持ち
出せるモバイル型にするのか

はたまたそうでなく家に固定
して使うホーム型にするのか

3年使った経験ではモバイル
型は外に持ち出せるとはいえ

バッテリーの減りが早くて充
電器を持ち歩く必要があった

ということで大量にデータを
使うのは家でのPC作業なので

結局ホーム型にすることにし
た、今度の契約会社はカシモ

ネットで契約するともう翌日
には届きさっそく設定の作業

simを入れpwを入力しあとは
コンセントに差し込み即利用

速度もこれまでより速く快調
シンプルで便利なのが一番だ

…………………………………

それにしても机の上を見ると
あれこれ機器と配線だらけ…

これからは情報化社会だと盛
んに言われ始めたのが30年前

思えば自分もその頃に旗振り
の一翼を担わされてはいたが

こうしてみるともう既に個人
のレベルでもこうなっていて

ほんと時代はその通りに移り
変わってここまできたらしい

ことこの情報の分野は日進月
歩のスピードがとにかく速い

新しい技術が現れてはそのた
び情報リテラシーを更新する

今のところはなんとかついて
いってはいるがはてこの先…

鍵盤を駆け巡る指の速さも同
じでその維持もしなければ…

ハァ、やることはたくさん…
ボーッとなんてしてられぬ…

そうだこのブログも以前は毎
日のように書いてたはずだが

いかんいかん、ということで
やっとこさこれで久々の更新








(前回からつづく)

こうして東京の一日愉しく終えたが
旅というのは一旦始めると癖になる

その1週間後今度は打って変わって
休日午前のクラシックコンサートだ

「0歳からの」と銘打っているから
親も安心の泣き声フリーコンサート

最近はずいぶんこの種が増えていて
これもやはり子育て支援なのだろう

子供の体験そして親の息抜きにもな
るそんな場が増えるのはいいことだ

ということではて実際どんなものか
ここは親ではないが一緒に紛れ込む




場所は有楽町国際フォーラム、駅の
すぐ目の前というのが何より有難い   

ここは都庁が30年前に新宿副都心に
移転する前まであったその跡地だが

場所が便利なのもあるがやはり時期
をGWにぶつけたのもあるのだろう

大小5つのホールをすべて使いきっ
てのこの音楽祭は物凄い人出だった

先に席に着いて待っていると五千の
席が埋まるなか孫たちがやって来た

さすがに先週の化粧まわしとは打っ
て変わってそれなりに正装している

この日はブラームスやドボルザーク
など中欧の民族舞踊がテーマだった

ただホールはやはりそのオケの音を
越える赤ちゃんの泣き声に包まれた 

それでも席でリズムに合わせ体を揺
すって身振り手振りを愉しむ子も…

踊りが好きな4歳の上の孫もキャッ
キャと喜んでは音楽に合わせていた 

子供達がいつまでもこの笑顔でいら
れる平和な世であってほしいものだ




…………………………………………

それにしても相撲からクラシックコ
ンサートまでなんともまあ幅が広い

こうしたイベントがあちこちで催さ
れるのだから東京の子供は羨ましい

そう考えるとせっかくこんな恵まれ
た環境にいるのだからこの孫たちも    

せいぜい今のうちにたくさんいろん
な体験をしておいたほうがいいよな

とそんなことを思えるのもどうやら
自分がそうではなかったかららしい
 
振り返ると自分の育った田舎ではそ
うした機会などまったく皆無だった

せいぜい漫画でそれを知るくらいで
逆にそれゆえに東京には強く憧れた

もし自分が東京生まれだったら音楽
ももっと道は違ってたかもしれない

毎月東京へ習いに通う話もあったが
やはりそこまで家は裕福でなかった

…………………………………………

じゃ生まれ育ったところが全然ダメ
だったかというとそんなことはない

そのぶん逆に蝶を追って野山を駆け
まわったり牛に追われたりもできた

農家や漁師の同級生もいたから土の
匂いも海の匂いも知ることができた

そこでなにかしら東京では決して得
られないものを身に着けた気がする

互いに隣の芝生は良く見えるで環境
というのはそれぞれ一長一短がある

なのでどれが良くどれが悪いといっ
たそんな単純な二択の問題でもなく

ただ両方それぞれがあるというだけ
のことでそれほど世界は多様なのだ

そしてその違いというものは両方を
経験してみて初めて肌で実感できる

それでやっとその両方を二項対立と
してではなくそこにあるものとして

当たり前に両方を繋げられそうなそ
んな感覚を身につけることができる

だとすれば少なくともその両方があ
るということを知ることについては
 
もしできるものならなるべく早けれ
ば早いに越したことはないのだろう

あれ?そうか、ならいずれこの子達
も北海道の広々とした世界に連れて…

行動をともにしながら気づけばふと
そんなことも巡るこのGWであった





(前回からつづく)

この半月、ずっと家にこもってイン
フラのことばかりに追われる毎日…

いやこれはまずい、少しそのストレ
スから心を解放してやらねばならぬ

そうだ季節はすっかり春、いやもう
初夏だ、よしここは外へ飛び出そう

……………………………………………

すると世の中はGW真っ只中らしい
天気も上々で暑いから半袖姿も多い

どこも行楽の人でごった返していて
ファミリーの姿もなんとも解放的だ

駅はみなどこへ出かけるのか平日以
上の混雑だ、う〜ん、じゃオレも…

であればここはまずしっかり支度だ
脚絆に草鞋、背中には風呂敷包み…

で電車に乗ると久々だからか新鮮だ
都内まで1時間だがすっかり旅気分

ただ東京はどこでも人が溢れていて
そこを気ぜわしく歩かねばならない

そしてどこへ行くにも駅でも階段で
もこっちだあっちだとやたらと歩く

普段はのんびりなのに急に動くから
さすが足腰にきて時につったりする

いつまでも若いなどと過信してはい
けないのだなと思うのはそんな時だ

ということで少し足が遠のくように
なってたがいやこのままではいかん

東京の刺激は若い頃と同じでいつの
時代も変わらずに愉しいものなのだ

……………………………………………

ということでやって来た花の東京…
きょうは銀座線乗換えであの浅草寺

その境内で子供泣き相撲があるのだ
なんと6ヶ月の孫も出場するという

行ってみるとそこにはなんと外国人
を含む大勢の観客そして報道陣まで

ここまで大々的だとは思わなかった
主催の台東区観光協会、あっぱれだ

主役は各地から我こそはと名乗りを
上げた総勢百名もの赤ちゃん豆力士

とはいってもさすがにそこは幼な子
立ち合いからぶつかるわけではない
 
仕切り線で互いに見合って先に泣い
たほうが勝ちというそんなルールだ

泣けば勝ちというのも戸惑うが泣く
子は良く育つということなのだろう




1時間経っていよいよ我が孫の出番
予想を裏切ってあれ?全然泣かない

「泣け、泣け泣け〜!」飛び交う観
客の歓声もまったくモノともしない  

審判が鬼のお面で泣かそうとしても
まったく動じないから結局判定負け

相撲に勝って勝負に負けるというや
つだが堂々とした戦いっぷりだった

優勝インタビューは受けられなかっ
たが何事にも動じない姿はあっぱれ

この調子でいったらあの国、あの国
難敵の強者たちと渡り合えるかも…

なんてえらく身びいきなそんな妄想
まで湧いてきてしまう一番であった

終了後はかって知ったる浅草の街を
隅々歩いてみたがなんとも懐かしい

ただ歩いてる人をみると半分以上は
外国人観光客、これは昔とは違った

インバウンド経済、そしてここ最近  
の円安……今の日本の現実を思い知る

こうして足がへろへろになりつつも
GWは花の東京、愉しく一日を終えた 

(つづく)








前回からあっというまにもう半月…
何というわけではないが忙しかった

AV機器の配線整理から水漏れへの
対応、そしてエアコンクリーニング

さらにはスマホとWiFiの機種変更、
SSDやmp3プレイヤーの交換設定…

そのついでにずっと散らかしっ放し
にしてた膨大な過去のデータ整理…

そんな作業を立て続けにやってるう
ちにあれよあれよ時間を忘れていた

なかでもいつもそうだがこのIT系
が一番厄介でえらく時間をとられる

このてはあまりに専門複雑になって
結果えらく時間が割かれるから困る

バージョンの新旧、接続の相性、何
から何まで細かくて神経を使うのだ

本来なら効率化が図られて人を忙し
さから解放する技術だったはずだが

実際は逆で次々覚えることも増えて
かえってより忙しくさせられている

物づくりの時代と違い今は目に見え
ないものが相手だから余計に厄介だ

おそらくそのほとんどの原因は仕様
が縦割でオープンでないことだろう

これも本来のネットのあるべき姿か
らは完全に逆を行く話だから滑稽だ

変えられるはずのものを旧来の発想
のまま変えないのだからタチが悪い

なので今の人達には昔とまた違った
それ以上のストレスがあるのだろう

おっと話がそれた、今回はそんな話
題でなかった、話を元に戻さねば…

……………………………………………

ということでこうしてみると暮らし
のインフラのことに追われた半月…

考えてみるとインフラというのは何
かをしていくための土台に過ぎない

なので時間がそればかりにとられて
そこに終始していては元も子もない

気づけばこの半月、そんなさまざま
な機器と睨めっこするだけの毎日…

そのたびうまくいかないことに溜め
息ばかりついて幸せが実感できない

ただそこで諦めては世の中から取り
残されるとばかりになんとか続ける

こうして生来の根気強さが邪魔をし
て逃れられずにドツボにはまるのだ

いやこれはまずい、少しそのストレ
スから心を解放してやらねばならぬ

そうだ季節はすっかり春、いやもう
初夏だ、よしここは外へ飛び出そう

と本題に入る前にこんな長くなって
しまった、なのでここで一服休憩…


(つづく)









もう10日ほど前のことだが去年の
秋に続きまた国技館へ行ってきた

両国駅で降りるとノボリが立ち並
びテンテケテケテケ触れ太鼓の音

そして街に相撲字のチャンコ屋が
並びそれだけでもう気分は江戸だ

隅田川のすぐ川向かいの浅草橋に
いる娘が自分の相撲好きを知って

ことあれば孫たちと一緒に行かな
いかと誘ってくれるようになった

今回は能登復興支援ということで
急きょ特別の興行になったという

相撲甚句、歌謡ショー、初っきり
、そして幕内力士全員での取組み

3時間の催しもバラエティに富ん
であっというまに愉しく過ごせた

取組みも本場所とは違ってさすが
に本気の勝負とはならなかったが

それでも思いもしない力士がふざ
けたりすると会場は大盛りあがり

いつもとは違うそれぞれの個性が
垣間見えたりしておもしろかった

広い国技館が八分ほどは埋まって
相撲人気がまだ健在なのが嬉しい

老若男女問わずあちこちから声援
が飛び交うのも江戸以来の伝統だ

雰囲気に連られたのか孫も一緒に
声を出していた、特に高安のとき

前に抱っこされて一緒に写真を撮
ってもらったときからのファンだ

歌謡ショーでもトリで昴を歌った
が堂々としていてこれがウマ過ぎ

プロ並みに観客席までおりて握手
しながら歌うと会場大盛りあがり

いつも寡黙で深刻な顔で相撲をと
る人がこの時ばかりは別人に豹変

ということでそんなこともありな
がらあっという間の3時間だった

今回の収入は能登への寄付にまわ
すというから少しは貢献できたか

遠藤、大の里、朝の山はじめ北陸
出身者は当然勝って拍手大喝采😄