高麗中期のドラマは初めて。『武神』① | コワれるまで ALLORA

高麗中期のドラマは初めて。『武神』①

韓国時代劇を観るとき、私の場合 ドラマの背景となる韓国の歴史を少し調べると、そのドラマがより楽しめたりするんです。

歴史とか時代背景といっても、少しの情報量でいいんですけど。

一国の歴史というのは複雑で壮大なもので、当該ドラマが扱う物語の時代背景の何が幹なのか、何が枝葉なのか、単なる韓ドラファンが理解するのは困難。

なのでドラマを観るたびに、時代背景の視点が変わっていく・・・と言いますか、視野が広がる思いです。
(と言いっても、忘れる分量も多いのですけど)


で、今回観始めているのが 『武神』
( ムシン )
(2012年)。英題は『Warrior K』。
918年建国、1392年に李氏朝鮮となるまでの、“高麗”
(コリョ)
が舞台のお話です。

今のところ1219年、都房
( トバン)
を率いる閤下の
(ハッパ )
チェ・チュンホン(チュ・ヒョン)が没するところまで観ました。

チュ・ヒョン翁、いぶし銀の演技でした。

さて、ここまで観てきて、今までの時代劇ドラマとは違う違和感を感じました。

というのも本作冒頭から、この閤下と
(ハッパ )
呼ばれ続けるチェ・チュンホンが、この時代の統治者すなわち “王” であるかのような振る舞いをしています。

李氏朝鮮の朝廷みたいな政治機構として、都房
( トバン)
という会議体のような、施設名のような、そんなものが存在します。

でも第8話にして、ちゃんと王が出てきます。
高麗2
(コリョ)
3代王高宗(
( コジョン )
イ・スンヒョ)。

このドラマ、他のいかなる時代の史劇よりも王が単なる象徴で、少々驚きです。
王が象徴なら、都房
( トバン)
は 日本でいえば “幕府” が一番近いかも知れません。


で、思い返せばコリョ国系のドラマって、建国初期だと『輝くか、狂うか』(原題: 光ったり(ピッナゴナ)狂ったり(ミチゴナ) 2015年)とか 『千秋太后(チョンチュテフ)(2009年)とか・・・。

신의(シヌィ) -信義(神医)-(2012年)では第31代恭愍王の( コンミンワン)治世下でした。

第31代王の時代がどれだけ末期かと言うと、コリョ最後の王は 大風水(テ プン ス)(2012年)に登場した第34代恭譲王( コンヤン)です。

『大風水』や 『六龍が飛ぶ』 (
(ユクリョン イ ナルシャ )
2015年)などイ・ソンゲによる李氏朝鮮建国の頃が、コリョの末期を描いていました。

『千秋太后』の時代背景は契丹
( コラン)
に悩まされ、また女真
( ヨジン)
から“金”
(キム)
へと徐々に巨大化する大陸の覇者とも緊張関係が続くというものでした。

一方でコリョ末期は、まるでモンゴル帝国の属国です。

では、コリョ中期に何があったのか。
そこが描かれたドラマを、今回初めて観たわけです。

『武神』はまだ14話目を観たところですけど、そこに描かれたのは、外交面では騎馬民族の蒙古帝
( モンゴル)
国があっという間に契丹
( コラン)
を滅ぼし、ロシア、ヨーロッパそして朝鮮半島へと版図を拡大していきます。

内政面では、チェ・チュンホンが武臣政権(国王や文臣ではなく武臣が朝廷の政治を掌握)を完全に確立しています。

日本では天皇をお飾りにして、将軍が幕府を敷いて実質的な政治を行う時代が長く続きました。
コリョでも、王が政治に関われず、閤下が
(ハッパ )
、都房
( トバン)
で政治を行う時代があったのです。

これほど王権が機能しない時代は、半島史の中でもこの時代だけではないでしょうか。



               




イ・スンヒョですが、
『六龍が飛ぶ』
(2015年)や
『華政』(ファジョン)(2015年)にも出演していました。