日本人のための近現代社会 -33ページ目

日本人のための近現代社会

主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげています。日記は投資について書いていきます。

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今日は誰か偉い人の誕生日前日らしいですが、僕らにとってはただの平日ですよね。なぜかアレなホテルが1年で一番繁盛する日らしいですけど、ただの平日です。というわけで今回は白人達によるキリスト教を使った世界侵略について解説していこうと思います。 

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm27856252

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=pJWR3_KKbuc


 時は1400年代後半から1600年代にかけてのいわゆる大航海時代と言われた時代です。僕から言わせれば大航海時代なんてかっこいい名前じゃなくて、大侵略時代とか大虐殺時代って言う方が実体に合ってると思いますけどね。

 大侵略時代の先陣を切ったのはスペインとポルトガルです。スペインはコロンブスの航海によってアメリカ大陸を発見し、ポルトガルはアフリカ大陸をう回する形でインドまで到達することになります。



 そしてアメリカ大陸の開拓によって莫大な利益をもたらす事に気付いた両国はアジアの植民地化と並行して南アメリカの植民地化を進めることになります。


 そうなると、当然開拓のための労働力が必要になりますよね。そこで、スペインとポルトガルはまずアフリカに物資を輸出し、そのお金でアフリカ人奴隷を買います。そして奴隷船に奴隷を詰め込んで中南米に送り込み、強制労働という形で奴隷を使い捨てながらお金稼ぎをします。そして中南米で得られた莫大な富を本国に送るというやり方を確立して大儲けします(三角貿易)。


 これに怒ったのが元からアメリカ大陸にいたネイティブアメリカンの人たちです。いきなり外からやってきて自分たちの土地や財産を勝手に奪っていくわけですから怒って当たり前ですよ。しかし、白人達との武器の違いは大きく、抵抗するネイティブの人たちは容赦なく殺され、300万人いたネイティブアメリカンの数は30万人にまで激減してしまいました(ネイティブの虐殺は主にイギリス人)。

 さて、奴隷を使い捨てにしたり、原住民を虐殺したりと今では考えられないようなことを平気でやっていた白人達なんですが、なぜ白人達はここまでひどいことを平気で行う事ができたのでしょうか。

 この答えとなるのがキリスト教の教えであり、世界観です。キリスト教ってのはキリストというたった一人の神様がいて、他の神の存在を認めるものではありません。そして白人達にとっては自分たちの信じる素晴らしいキリスト教を世界に広げる事こそが正義だったわけです。


 だから当時のローマ法王庁は世界に宣教師を派遣します。そして世界各地で布教という名の強制改宗を現地人にせまり、従わない者は皆殺しにすることで現地のキリスト教化を図っていきました。殺さなくてもと思うかもしれませんが、100人の現地人がいたとして30人がキリスト教を受け容れればキリスト教率はたった30%ですが、70人を殺してしまえばキリスト教率は100%になりますから目標達成という訳です。


 当時のローマ法王の命令書が残っているので参考までに紹介しましょう。

①イスラム教徒やトルコ人はこれまでキリスト教国の領土を不法占拠していた 

  のだから、彼らに対しての戦争や虐殺は正義である。

②アジアや中南米には宣教師を派遣してキリスト教徒になるチャンスを与えて

  やった。にもかかわらず改宗しない連中は極悪人である。だから彼らへの

  戦争や虐殺は正義である。

③アメリカ原住民は布教活動の邪魔はしていない。しかし、我々白人には理解

 できない気持ち悪い生活習慣を持っている。だから彼らへの虐殺や戦争は正

 義である。


 このような一方的としか言えない考えを柱にして世界侵略をおこなっていたわけです。さらに軍事力の強い相手に対してはキリスト教を使った間接侵略を行います。そのためにまずはキリスト教を広めて現地にキリスト教勢力を作ろうとしました。そしてキリスト教徒に土地を寄付させたり、内乱を起こさせ、混乱に陥った所を乗っ取ったりというやり方をとっていました。


 とまぁこのような具合で、世界侵略の精神的な支えとなり、現地人を苦しめまくってきたのがキリスト教なんですよ。だからクリスマスを日本を含めた有色人種が祝うってのには少なからず抵抗がありますよね。 

 さぁみんなもこの事実を広めてクリスマス反対運動を広げようではありませんか。決して彼女がいない独身男の僻みとかそういう事ではないですよ。純粋に、ただ純粋に、真実を発信したい。それだけなんですよ。他意は一切ありません。

 そもそもクリスマスって向こうでは家族と過ごす日なんですよ。カップルで過ごす日じゃないんですよ。もしぼくに彼女ができたとしても浮かれてお祭り騒ぎとか絶対しませんよ。いやきっとしない。たぶんしない。おそらくしないかな。


 次回は近現代史に戻りまして、ワシントン会議と日英同盟の消滅について解説します。次回は後の大東亜戦争へのキーポイントになる回なので特に見てもらいたい回となっています。チャンネル登録、お気に入り登録をよろしくお願いします。


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 今回は5の倍数回という事で歴史の流れからは少し離れまして日本で初めての公害事件である足尾銅山鉱毒事件における田中正造について解説していきます。 


動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm27826185

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=LudZ8PGhkto


 僕の動画でも解説したように明治時代の日本は急激な近代化によって列強の仲間入りを果たしました。しかし、急激な近代化には当然副作用も伴います。

 足尾銅山では日本の銅の産出量の4分の1から半分という莫大な量を産出していました。そして採掘した銅を精錬する時に出る有毒なガスや金属が川に垂れ流されてしまっていました。そのせいで川でアユが大量死したり、周辺地域で農業をすることができなくなったりといった深刻な影響が出てしまっていました。

 そんな状況で1890年に地元出身の衆議院議員田中正造が立ち上がり、何度も国会で質疑や答弁を行い地元の悲惨な状況を訴え続けます。しかしながら当時の日本は日清・日露戦争を控えた状況で鉱山を閉鎖するという選択肢は取りたくても取れないというのが実情でした。当時、銅は貴重な輸出品でしたから、もし足尾銅山が閉山ということになったら日本の貿易収支が大変なことになってしまいます。だから日本政府としては見て見ぬふりをせざるを得ないというのが正直なところだったわけです。


 そんな状況の中、田中正造は10年もの間国会質疑や講演会などを通して鉱毒事件を訴え続けますが政府はなかなか動いてくれません。そこで1901年田中正造は最後の手段に出ます。帝国議会から帰る途中の明治天皇に対し、足尾鉱山鉱毒事件について政府として対応するよう直訴を行ったのです。

 天皇への直訴なんてのは当時死刑が当たり前でしたから、それを承知で直訴を行ったこの事件は当然広く世の中に知れ渡り、直訴状の内容も広く国民に知られることになります。

 田中正造は自分の命を犠牲にしてでも世論に訴え、何とかして地元住民を救おうと考えて行動したと言えるでしょう。

 ちなみにこの時、田中正造は家族に迷惑がかからないよう絶縁状を送り、死刑になる前提で遺書まで書き遺していました。それだけの覚悟をもってやった行動だったわけです。


 さて、本来なら比べるのもおこがましい話なのですが、現代でも天皇陛下に対して直訴を行って話題になった山本太郎という人物がいるので比べてみましょう。

 まず、一番大きな違いは今と当時の天皇の立場の違いです。当時は天皇主権であり、天皇が直接政治を行ってはいなかったものの、少なからず影響力はありました。だからトップである天皇陛下への直訴というのは命を賭けてでもやる意味があったわけです。しかし、今の天皇には何の政治的権限もありませんから山本太郎議員の行動はハッキリいって目立ちたがりのかまってちゃんの暴走としか言えませんよね。

 次に、原発事故と足尾銅山事件の知名度の違いです。足尾銅山鉱毒事件については田中正造が直訴を行うまでは、国民に広く知られてはいませんでした。だから直訴という大事件を起こす事で国民に現地のひどい状況を知ってもらうという意味があったわけです。対して原発事故についてはどうでしょうか。福島の原発事故については事故直後から大々的に報道されていましたよね。山本太郎の直訴で初めて福島の原発事故のやばさを知ったぜなんて人はいないでしょ。ハッキリいって反原発のためのただのパフォーマンスでしかないわけです。

 また、直訴を行うにあたっての覚悟も全く違います。田中正造は衆議院議員を辞職した上で死刑になる前提で家族との縁を切り、遺書まで残しています。対する山本太郎はどうだったでしょうか。議員を辞める気も無ければ、自分の命どころか政治生命をかける覚悟すらありません。さらに、直訴について批判された時には、「メディアが騒ぐせいで天皇の政治利用に見られる」などとのたまって俺は悪くないとの主張までしていました。これじゃあ話にならないですよね。

 

 ちなみに田中正造はすぐに警官に取り押さえられ直訴自体は失敗します。しかし、政府は単にとち狂った馬鹿が馬の前でよろめいて転んだだけだとして罪には問わず、その日のうちに釈放されています。

 

 福沢諭吉はその著書学問のすすめの中で「暴力ではなく正論で訴えてくる者に対して暴力で潰すという事をやってしまえば自分の誤りを認めてしまうことになる。だから手荒なことはできない。ましてや、それが命懸けでやっている事ともなれば、よほど冷酷な人物でない限り心を動かされるものである。だから正しい事であれば粘り強く訴えていかなければならない」と述べていますが、田中正造はまさにこれを実践して見せたわけです。


次回はクリスマスということで12月24日にキリスト教を使った白人の侵略活動について解説していきます。


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 今回は第一次世界大戦後の世界の動きということで1920年代の動きについてザックリと解説していきます。

動画解説

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 第一次大戦によって日本とアメリカ以外のヨーロッパの国々はどこの国も戦争で疲れ切っていました。そのため新たな戦争は避けたいというのが正直な国民の想いでした。だから世界平和とか国際協調をスローガンとして軍縮の動きが出てくることになります。

 まぁ実際には世界平和なんて掛け声だけで全然平和な時代ではないんですけどね。


 まずは一方的に日本を敵視していた某男気の無いジャイアンです。1924年に絶対的排日移民法という人種差別要素MAXの法律が制定されます。

 これによって日本人というだけで土地の所有や賃貸、アメリカへの帰化が完全に禁止されます。これによって多くの日本人がアメリカの人種差別主義を確信し、日本人の反米感情を一気に高めることになります。


 次にアジアでの動きです。前の動画でも解説したようにロシア革命によって共産主義国家ソビエト連邦が誕生します。そしてソ連は当時軍縮の動きにあった世界で、その流れを無視して軍備の拡大を行っていきます。さらに、周辺諸国への侵略と共産主義思想の輸出を積極的に行い、日本にとっても悩みの種となっていました。


 そんな状況で中国では辛亥革命の後の政治の混乱によって中国全土で内輪もめをはじめ、昔の日本の戦国時代のような状況に陥ります。その混乱に目を付けたソ連は孫文に対し武器や資金の援助を行って中国大陸を統一させ、共産党員の中国での発言力を高めることに成功します。孫文の死後、蒋介石もソ連の資金援助に後押しされて北に残っていた軍閥の残党を蹴散らしていきます。

 しかし、その途中で事もあろうに共産党が武漢政府の樹立を宣言し、積極的に中国の共産主義化を推し進めていこうとします。この動きに危機感を抱いた蒋介石は、上海で共産主義勢力の打倒を掲げたクーデターを起こし南京政府の樹立を宣言し共産党の徹底排除を宣言することになります。

 これによって、中国は共産党対国民党という対立が明確になります。当然、日本やヨーロッパの国々は共産主義が広まるのは困りますから南京政府を政府として正式に認めることになります。で、この対立の中で南京事件など共産党員による凶悪なテロ活動が行われていくことになります。


 さて、こんな平和な世界において日本はどう対応したかと言うと「平和外交」という名の土下座外交を幣原外務大臣の下で展開していきます。

 中国でテロが起きて欧米が自国民を守る動きに出る中日本は何もせずに日本人を避難させるだけ。日本人が虐殺されようがレイプされようが政府としては何も対応をしない。そういう外交姿勢を続けた事で中国では「白人は下手な事をやったらやり返されるけど日本人には何をしてもいいアル」と思われてしまい、中国の矛先は全て日本へと向いていくことになってしまいます。


 そんな面倒な状況の中、1929年には世界恐慌が起こり、世界各国がブロック経済圏と言って自国とその植民地の間でしか貿易を行わないという経済体制を作ってしまいます。そうなると植民地が少なく、資源も無い日本では唯一の大陸の利権である満州に目が行くのは当然と言えますよね。そして満州でも共産党の反日宣伝工作が行われ、これ幸いとばかりに日本を追い出したいアメリカが便乗するという事態になっていたわけです。この事が後の満州事変へとつながる大きな原因になっています。


 こういった世界の情勢を知っていると、ドM史観の教科書に書いてある「満州事変は日本の一方的な侵略だ」という内容が行かに偏った見方であるかが分かりますよね。


 次回は5の倍数回という事で歴史の流れからは外れますが、足尾銅山鉱毒事件における田中正造について解説します。天皇陛下に原発反対で直訴した山本太郎を「平成の田中正造だ」と言って持ち上げる人たちがいましたが、これがいかに田中さんに失礼な話であるかという事を解説していきます。

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 第一次世界大戦の解説をした際にロシアではロシア革命が起きてソ連が誕生したという話をしました。今回はソ連誕生が日本に及ぼした影響という事でシベリア出兵を中心に解説していきます。


動画解説

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 自虐史観の歴史教科書によると、シベリア出兵は日本がシベリアでの勢力拡大を図って大軍を送り込み、最後まで撤退せずに居座ったとあるようですが、今回はこの誤解を解いていきます。


 日露戦争以後、日本とロシアとの関係は良かったのですが、ロシア革命によってスターリンがトップに立つと関係が悪化します。スターリンはとんでもない反日家でしたから当然ですね。

 そして、世界を共産主義にするための組織コミンテルンが色々と日本に対してもちょっかいをかけてきます。

 具体的には中国の民族意識を共産主義で煽って反日運動をさせる皇室をぶっ潰せという指令を出すといった事をやっています。ソ連や共産主義の存在は日本にとって放ってはおけない大問題になっていたわけです。ロシア革命ではロマノフ王朝を倒した時に皇帝一族は皆殺しにされていますから、それを日本でもやる気なのではないかという危機感が当時の政府にも国民にも共通してありました


 ちなみに某男気のないジャイアンを除いたヨーロッパの国もこのやり方を見てソ連はやばいと認識していたようです。共産主義者の基本的な考え方ってのは、「世界中の資本家を皆殺しにし、世界中の政府を混乱に追い込んで転覆させ、共産主義革命を起こせば世界中が北朝鮮のような地上の楽園になる」というものです。

 まぁもちろんこの本音は隠して政府のやることは何でも反対しては混乱を招いていくんですけどね。で、共産主義者が政権を取ると天安門事件のような粛清をやりまくるという事になります。それでいて平和主義者を自称しているんだから笑えますよね。


 とまぁ、こんな考え方やスパイが国内に入ってきたらヤバイってのは日本だけじゃなく、ヨーロッパの国々でも共通した認識でした。だからロシア革命の波が自国に入ってこないよう対策を立てることになります。これがシベリア出兵です。

 ですから当然日本だけでなくヨーロッパの国々も兵を出しています。ちなみに某男気のないジャイアンはどうだったかというと「共産主義は民主主義の一つの形だろう」くらいの認識しかもっていませんでした。だからウィルソン大統領率いるアメリカが「日本はシベリア方面に利権を拡大する気だろう。出兵を辞めろ!」と横やりを入れて来ます。頭にアホ花でも咲いてたのかな?しょうがないのでイギリスがそんなに日本が兵を出すのが嫌ならアメリカさんも一緒に兵を出しましょうよと誘った事で共同出兵という形で兵を出すことになります。

 ところが、アメリカは「日本の出兵はシベリアの門戸開放に反する」等と妄言を吐き共同出兵でありながら共産主義者に味方し始めます。ちなみにアメリカが共産主義の危険に気付くのは大東亜戦争が終わってソ連との冷戦に入る頃という笑えない話があります。

 

 さて、このシベリア出兵ですが、ヨーロッパは引き際を弁えていましたから、59回の動画でも解説したように壁となる小国の独立を確保できた時点で撤退しています。ところが、日本軍は戦闘はとんでもなく強かったものの、情勢がしっかり認識できている指揮官がいなかったせいで引き際が分からず撤退できません

 そうこうしているうちにロシア人、中国人、朝鮮人4000人による外国人虐殺事件が起こり日本人700人を含む6000人の民間人が惨殺されます。これによって日本の世論は激怒し撤退しようにもできない状況が生まれ、泥沼に引きずり込まれていくことになります。

 綿密に計画して引き際をしっかり把握した上で臨んだ日露戦争とは大違いですね。この頃から後の大東亜戦争の敗戦につながる戦略のなさは見え隠れしていたわけです。後に総理大臣となった加藤高明はシベリア出兵について「何一つ得るものの無かった外交上稀に見る失敗である」と評価しています。ホント、石井菊次郎が原敬によって追放されていたのが残念でなりませんね。次回は第一次世界大戦後の世界の動きについてザックリと解説していきます。 チャンネル登録、お気に入り登録をよろしくお願いします。


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前回、前々回の動画の中でアメリカ、特にウィルソン大統領の自己中ぶりのひどさが分かっていただけたかと思います。今回はそんなアメリカの横暴から日本の国益を守った石井菊次郎による石井ランシング協定について解説していきます。第一次世界大戦中の出来事なので、時代的には前回動画と前後してしまいますが、当時のアメリカの自己中ぶりを知った上で今回の話をした方が分かりやすいと判断しました。

動画解説

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さて、協定の中身に入る前に石井菊次郎の第一次世界大戦においての立ち回りを確認してみましょう。前回も解説しましたが、日英同盟を理由にイギリスは日本に参戦を要請し、それに答える形で日本は英仏側で参戦していたわけです。

しかし、この時代というのは国益にかなわないと判断すれば簡単に裏切るというのが当たり前の世界でした。大東亜戦争後にロシアが不可侵条約を破って北海道に攻め込んできたのはいい例ですね。今の感覚では許せない約束破りであり裏切りですが、当時の世界では当たり前だったわけです。

そんな世界にあって日本の石井菊次郎は英仏に対し「日本は絶対に裏切らない。お前らが勝つまで最後まで付き合ってやるよ」と宣言し、中国からドイツを追い出し、地中海からUボートの脅威を排除し続けました。

英仏にとってはいつ裏切るか分からない連中ばっかりの中に俺たちは絶対に裏切らないよと宣言までしてくれる国があったわけですから、日本の存在がいかに心強かったかは言うまでも無いですよね。こう言う事を開戦当初から石井がやったからこそ日本はパリ講和会議に大国として呼ばれましたし、有色人種で唯一国際連盟の常任理事国にもなれたわけです。

さて、イギリスやフランスからは感謝された日本の行動だったんですけど、1国だけ不信感MAXで見ている国がありました。そう、ウィルソン大統領率いるアメリカです。アメリカは日本の行動を見てどう思ったか。「日本は英仏に恩を売って中国の利権を拡大しアメリカの邪魔をするつもりに違いない」こう思い込んでいたわけです。だから、日本の中国利権拡大を阻止するために協定を結ぶことになります。これが石井ランシング協定です。

内容を簡単に説明すると「アメリカは日本に対し、満州地域の権益を認める。その代わり日本は第一次世界大戦の混乱に乗じて中国侵略をしない。また、中国における貿易などの機会均等を認める。」という約束です。

一番ネックだったアメリカが満州権益を承認してくれたわけですからこの協定は日本にとっては完全勝利とも言える内容でした。前回動画でも解説したように21カ条の要求における日本の目的は満州権益の確保であり、中国侵略ではありません。だからアメリカのこの提案は日本にとっては何のデメリットも無い提案だったわけです。

そしてアメリカはこの協定によって日本が中国で利権拡大することは無いと安心して第一次世界大戦に参戦していくことになります。つまり、日米双方にとってWINーWINの関係だったんです。

ところが、第一次世界大戦が終わるとアメリカはやっぱり満州も欲しいと考えるようになり、石井ランシング協定を破棄しようと努力し始めます。そして後の動画で解説しますが5年後には結局なかったことにされてしまいます


余談ですが、当然パリ講和会議には当然石井菊次郎参加するとみんな思っていました。こんだけの事をやってくれた石井はイギリスやフランスでは超有名人でしたからね。ところが、アメリカ信者だった原敬総理大臣に嫌われてしまった石井はパリ講和会議には連れて行ってもらえなかったんですよ。代わりに「クルーズ満喫してたらパリ講和会議に遅刻しちゃったごめんね」という伝説を残した全くやる気の無い西園寺公望が行っています。その後も石井は原敬によって発言力を失っていきます。日本ではなぜかこうした優秀な人が潰されてしまうんですよ。リーマンショックから世界を救った麻生総理がマスゴミのネガキャンで辞めさせられたのに似ていますね。
次回はロシア革命とシベリア出兵について解説します。チャンネル登録、お気に入り登録をよろしくお願いします。