167回 帝国憲法と教育勅語 ~井上毅という偉人~ | 日本人のための近現代社会

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 今回は以前リクエストにあった井上毅という人物について話をしていきます。

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 時代はだいぶさかのぼりまして、明治初期です。幕末から明治初期と言われると、一般的には西郷隆盛とか大隈重信とか伊藤博文なんかがすぐにイメージされるんではないかと思います。今回紹介する井上毅という人物はどっちかというと裏方にいた人物なんですが、帝国憲法の制定とか教育勅語、我が国の議会運営に大きくかかわった人物という事になります。役職は文部大臣ですね。

 

 まずは帝国憲法とそれに伴った議会運営についてみていきましょう。実は帝国憲法を作る時ってイギリスとドイツどっち参考にするかって話があったんです。で、当時世界最強だったイギリス型にすればいいんじゃね?って人が多数派でドイツ型がいいって人は少数派だったんですよ。ドイツ憲法についてまともに知識があるのが井上毅さんくらいしかいなかったので少数派になるわなって話ではあるんですが。

 

 ところが、こと憲法に関してだけみれば明治維新化の日本の状況を考えると明らかにドイツ憲法のほうが時代に合ってるわけです。だから井上先生は伊藤博文なんかにドイツ憲法はこんな感じですよって説明をします。そこで説明を受けた伊藤博文は「なるほど、ドイツ憲法なんて知らんかったけど、確かにドイツのほうが日本には合ってるな」という事になってドイツに行って勉強するという事になるわけですね。そして伊藤は過去動画でも解説したようにシュタイン王国民第1号となっていくわけです。

 

 つまり、井上さんがいなかったら伊藤博文とシュタイン先生の出会いもありませんから帝国憲法は文字通りイギリスの猿真似になっていた可能性が高いんですよ。ありがとう井上先生!余談ですが、欧米から理解されないという事で修正されたものの井上先生起草の帝国憲法1条には「万世一系の天皇のしらす所なり」となっていたんですね。我が国のことを考えると正確な表現なんですが、「しらす」って言っても確かに欧米には理解できない概念ですね。「しらす」と「うしはく」の話っていうのは話し始めると動画1本分になっちゃうんでここではさらっと流して次の動画で作ろうと思います。

 

 さて、憲法を制定したら次は議会です。初期議会において井上が最も苦労したのは多数派の野党による経費削減と減税の要求です。これは今でも分かりやすく支持が得られる主張だと思います。要は政府は軍艦とかに無駄な金つかうな!節約すれば税金減らせるだろ!ということですね。無駄を省いて富国強兵を進めるってのが井上の考えでしたから、経費削減に関してはできるところはやりたいという想いはありました。ところが、当時の世界情勢としてはアジア諸国は日本以外ほぼ欧米の植民地になって奴隷的搾取を受けていました。日本だって国力が弱くなればいつそうなってもおかしくないわけです。そんな状況で海軍予算減らすとかできるわけないじゃないですか。

 

 そこで、最終手段として天皇陛下に出てきていただいて、「与党も野党も党の利益ではなくちゃんと国のためになる議論をしろ。もしそれでも軍艦の建造費出させないというのであれば皇室予算削ってやってくれ」という事を言っていただいたわけです。その結果、野党の要求する無駄を省くという部分には官僚にちゃんとやらせます。ただし、海軍の予算削減はまじで国が危なくなるからやめようという方向で議論を進めることができたわけですね。

 もしこの時、「うるさい黙れ。議会なんか知らねぇ!やるもんはやるんだ!」とやってしまっていたら日本の民主主義は開始早々終わってましたからね。

 

 最後に教育勅語についてですね。教育勅語と聞くと読みもしないで「軍国主義の象徴だー」とか「国家による思想統制だー」みたいなトンチンカンな事を言う人がいるんですが残念、惜しかった。もし、井上先生がいなかったらそのようなものになっていた可能性もありましたね。

 

 教育勅語の原案を考えたのは井上先生と元田永孚(もとだながざね)という人物です。

 

立場的には明治天皇の顧問であった元田先生の方が遥かに上です。元田先生は国家神道的な教典として教育勅語を作りたいと思ってたらしいんですが、思想や信条の自由を大事にすることを重視していた井上先生との協議の末、最後まで考えを曲げなかった井上案が採用されています。ちなみに井上先生も元田先生も熊本の藩校で学んだ先輩後輩です。25も年上で立場もはるかに自分より上の元田先生に対してちゃんと正論を言える井上先生すばらしいですが、立場を利用して井上先生を排除しなかった元田先生もすごいですよね。きっと2人には強い信頼関係があったんだろうなと思いますね。

 

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