91回 第二次世界大戦(ヨーロッパ)とノモンハン事件 | 日本人のための近現代社会

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主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげています。日記は投資について書いていきます。

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  59回の動画で解説したように第一次世界大戦で負けたドイツは領土をぶんどられたり、アホみたいな額の賠償金を払わされたりとフルボッコをくらってしまいました。

そんな厳しい状況で1933年、ベルサイユ体制の打破を目指すヒトラーが政権に就くとユダヤ人の迫害と領土の拡大を推し進めます。

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm29258024

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=NVHeFieHNgM

 

 そしてついにドイツがイギリスやフランスの同盟国であるポーランドに攻め込むと英仏はドイツに対し宣戦布告を行い第二次世界大戦が勃発することになります。

 ちなみにドイツとポーランド山分けの密約を交わしていたソ連はドイツが攻め込んだ2週間後にポーランドに攻め込んでいますが、英仏はソ連に対してはなぜか宣戦布告をせず、スルーしています。

 

 侵略をやっても英仏は何もしてこないと分かると、ソ連は今度はフィンランドにも攻め込み、領土の一部をぶんどる事に成功しています。また、バルト3国にも攻め込み、抵抗する市民らを虐殺によって全滅させて親ソ政権を作り併合してしまいました。こうしたソ連の動きに対して英仏の対応はって言うと国際連盟から追放しただけで大した制裁はやっていません。

 まぁ英仏からしたらドイツとソ連の両方を敵に回して戦うのは厳しいから同盟国は見捨てられたってことですね。

 

 ともあれ、ポーランドがドイツとソ連に占領されて以降はドイツと英仏のにらみ合い状態が続きしばらくは落ち着いていました。しかし1940年5月ドイツ軍は突如として動き始めます。ベルギー・オランダ・ルクセンブルクに向けて一気に攻め込みたったの3日でフランス領内にまで進撃し、フランス東部を制圧します。その後たったの10日ほどでフランスは降伏に追い込まれます。

 

 その後ドイツはイギリス本土にも攻め込もうとしますがイギリス海軍に阻まれ上陸することはできませんでした。この後は本国ではなく地中海やアフリカなど植民地での戦闘が行われる事になります。

 植民地の有色人種からしたら普段から過酷な労働をさせられていた上に戦争にまで巻き込まれ戦闘の最前列に立たされるわけですからもう踏んだり蹴ったりですよ。

 

 そしてこの後、日独伊三国同盟を結んだドイツは1941年に何をとち狂ったか独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込みます。こうなると英仏にとっては大チャンス到来です。だってソ連を英仏の側に誘い込めばドイツを挟み撃ちにできますからね。そんなわけでイギリスは同盟国ポーランドを侵略したソ連を味方に引き込むことに成功します。ほんと裏切りばっかりですよね、ヨーロッパの戦争って。

 

 おそらくドイツの意図としては日本とドイツでソ連を挟み撃ちにしようと思っていたんでしょうが、日本側にその意図が伝わることは無く、日本としてもソ連と戦う気はありませんでした。それどころか日本はアメリカと戦争を始めてしまい、ソドイツは連だけでなく、アメリカまで敵に回す結果になり一気に不利な状況に陥っていしまいました。

 ドイツからしたら「Why Japanese people なんでソ連じゃなくてアメリカなの!?空気よめよ」って話になるんですけど、日本人の感覚ではいきなり不可侵条約を破って攻め込むなど裏切って当たり前の白人の感覚は理解できなかったってことに尽きますね。

 

 結局はドイツの勢いも長くは続かず、1943年には劣勢に立たされると同盟国のイタリアはまたもや裏切って連合国側に寝返る事になります。第一次大戦の時と同じ流れですね。ホント半島国家はすぐに裏切るって法則か何かあるんですかね?

 

 こんな感じで第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は1945年にドイツが降伏することで終わりを迎えます。

 

 さて、ここで1つ疑問が生まれます。ポーランド侵攻を始めるまでの侵略国家ソ連の目は満州や朝鮮半島など、東アジアに向いていました。それがなぜ、ポーランドに矛先を変えたのか。

 そのきっかけとなったのがノモンハン事件です。1939年にソ連軍は満州を侵略するための前準備としてモンゴルをけしかけて関東軍に対して戦闘を仕掛けます。この戦闘で日本とソ連は双方ともに2万人近い死者を出す結果となってしまいます。この結果、ソ連は満州を攻めるのはリスクが大きいと判断しヨーロッパの方に目を向けていくことになったわけです。また、日本にとってもショックは大きく対ソ開戦論はしぼんでいってしまったわけです。

 

次回は日独伊三国同盟について解説していきます。

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