何年か前のテレビドラマのワンシーンに次のようなものがありました。
小学1年生の女の子がスーパーのレジに並ぶ際に、わざわざ混んでいる列のおばあさんの後ろに並びました。 それに気づいた主人公が、「他に空いているレジもあるけど、どうしてここにしたの?」と女の子に尋ねました。
すると女の子は「父ちゃんが云ってたんだ。『もし、おじいちゃん、おばあちゃんが並んでいたら、その後ろに並びなさいって。 そうしたら、後から並んでくる人にお年寄りが急かされないで済むでしょう。お前がおじいちゃん、おばあちゃんの壁になってあげるんだよ』って。」と優しい笑顔で答えていました。
ドラマとはいえ、このシーンを見たとき、こんな小さな子がなんという徳の深い「布施行」かと、僧侶という立場で見ても衝撃を受けました。
仏教では、布施には様々な形があります。決して、良い・悪いの区別はありませんが、自らがつらい時・苦しい時に「密かに、気づかれない布施行」を行う事が最上とされています。
このドラマのおばあさんは、そんな気持ちで女の子が並んでいるとは気づかないでしょう。「これ見よがしに親切にしてあげた。」という行いではなく、まさに「密かな布施行」です。
ドラマの中の話だと思われる方もいるでしょう。 でもどうですか、何気なく行う布施行(親切な行為)。私たちの身の回りにも、もしかしたら結構見つかるのではないでしょうか。
「席を譲る」(床座施という布施行)行いも、「どうぞ、こちらにお座りください。」と元気よく、譲るのが恥ずかしいのであれば、「目くばせ」(眼施という布施行)で、黙って立ち上がるのも、立派な布施行です。
その「ちょっとの一歩を」心がけ見てはいかがでしょう。
もしかすると、反対に気づかないうちに「密かな布施行」をいただいているかもしれませんよ。
南無大師遍照金剛
富良野市 弘雲寺 齋藤 寛秀 僧正