私の義父が先日逝去しました。 私は常日頃より、お檀家さんには、世の無常や寿命の話をさせていただいておりますが、改めて義父を亡くし痛切に感じいりました。
義父は浄土真宗の住職でしたので、義父が親戚のようにお付き合いしていた浄土真宗の方に導師をお勤めいただき、通夜の時にお話しいただいたのが、鳥辺山のお話しでした。
「鳥辺山 昨日の煙、今日もたつ 眺めて通る人も何時まで」
鳥辺山とは今でいう火葬場、その前を通る人が、いやあ昨日も煙が立っていたが、また、煙が立っている、今日も人が死んだのかと眺めている。 しかし、いつまで眺めていられるのか、自分が焼かれて、ほかの人がその煙を眺める時が必ずくるのです。
「人や先、人や先」と思ってないでしょうか。無常は私たちの都合などと、一切関係無い、人や先ではありません。 私が先に死んでゆかねばならないのですよ、と遺族として他派の話を聞き義父の死を受け入れることが出来、今、命あることに感謝しなければと思いました。
そして、お大師様の今日は存すと雖も、開けなん迄は保ち難しと申しているお言葉が胸に浮かんで参りました。
今、生かされているこの命を大切に日々暮してまいりましょう。
南無大師遍照金剛
函館市 高野寺 丸山 泰觀 僧正