マリー・アントワネットとパリの街5
1774年5月10日にルイ15世が亡くなると、マリー・アントワネットは、夫であるルイ・オーギュストが王に即位し、ルイ16世になったことで王妃になる。
マリー・アントワネットはこのとき19歳だった。そして、夫からヴェルサイユ宮殿にあるプチ・トリアノンという宮殿から少し離れた場所にある離宮を贈られ、マリー・アントワネットは、本宮殿での窮屈な暮らしを離れて、プチ・トリアノンで多くの時間を過ごすようになる。
プチ・トリアノンはルイ15世と愛妾ポンパドゥール夫人が過ごす離宮として1762年~68年に建てられた。
マリー・アントワネットは、室内装飾を自分好みに改装しナチュラルなモチーフを用いたり、周囲に庭園をつくったり、ちいさな農村をつくって農業をしたり、小劇場をつくって芝居をしたりした。
庭では音楽家が演奏し、作家ボーマルシェをよんで「フィガロの結婚」を朗読させたり、マリー・アントワネットの芸術家気質が伺える。
文化とは労働とは別の場所で生まれるもののように感じる。衣食足りて礼節を知るという諺があるが、衣食という基礎が充足されないうちは、文化というものが培われる土壌が整わないように感じる。
ただ、樋口一葉のように貧しい暮らしの中でも才能を培った人が日本にはいるからそうとも言い切れない部分があるのだが、多くの場合、文化とは衣食足りたあとに生まれるものではないかと思う。
プチ・トリアノンから小川にそって北に進むと、神殿風の「愛の殿堂」がある。マリー・アントワネットがスウェーデンの大貴族の息子でパリに貴族として勉強に来ていたフェルセンと密会を重ねたというエピソードがのこる場所だ。
フェルセンはプレイボーイで女性の噂が多くあったというが、一度燃え上がった恋の炎を消すことは出来なかったのだろう。
恋とは人生に彩りを与えてくれるものだ。白黒映画がカラーに変わるように恋をすると世界の見え方が変わる。
恋がなくても生きては行けるが、恋が始まるとなぜもっと早く恋をしなかったのかと思ってしまうほど恋の力は大きい。人生を生きるとは恋そのものであるように思えてくるから不思議なものだ。
そして、恋が破れると人生が終わってしまったような絶望感が襲い、この先どうやって生きて行ったらよいかわからなくなる。
決して実ることにないフェルセンとの恋にマリー・アントワネットはどんな思いで「愛の殿堂」で逢瀬を重ねていたのだろうか。