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ヴェルサイユ宮殿へ向かう道には、たくさんの物売りがいた。主に観光客相手のお土産のようだったかが、背が高く大きなアフリカ系のフランス人の姿が目立った。


どのひとも商売っけはあまりなく、観光客がたくさんいるのでいつか誰か買ってくれるだろうというある種の余裕がある。熱心売り込みをしなくとも実際に買ってゆく観光客が多いのだろう。



ヴェルサイユ宮殿に歩を進め、近づくにつれて、宮殿から放たれる豪華さと優雅さを兼ね備えれた空気が漂い、その凛とした佇まいから歴史の重みのようなものが伝わってくる。


ヴェルサイユ宮殿は、建物だけではなく、この場所で繰り広げられた人間のドラマや歴史スペクタクル、そういったものがすべて混じりあって、まるで水面に広がる波紋のように、その魅力が幾重にも重なり、いまもなお増幅しているように感じられる。


ヴェルサイユ宮殿に似たお城をヨーロッパ各地で見かけるのは、やはりこのヴェルサイユ宮殿というものの人気が高かったことの現れなのだろう。



お城の中に入ると装飾や調度品はどれも間違いなく美しかった。有名な鏡の間には、現在の鏡と比較すると少しくすんだ鏡ではあるが、当時としてはそれでもとても貴重なものだった。


その鏡が壁一面を覆っている鏡の間は、いまでも一種独特の雰囲気がある。


見学したのは、昼間だったのだが、夜、天井から垂れ下がる大きなシャンデリアの光が灯るころ、鏡の間はまた違った雰囲気で美しいに違いない。


そう考えると飾られた鏡が少しくすんでいるくらいが丁度良いのかもしれないなと思った。数百年前の貴族たちが鏡の間で、おいしい料理やお酒を飲みながら語り合い、時を過ごしていたと思うと感慨が一層深まる。



日本でも漫画や舞台で描かれるマリー・アントワネット。彼女もこのヴェルサイユ宮殿に暮らしていた。ヨーロッパからみたら東の果ての遥か遠く離れて暮らす日本人が、彼女が没して数百年経ち、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に足を踏み入れているとは想像しなかったことだろう。


当時、ヴェルサイユ宮殿にはもちろん誰でも入ることは許されていなかった訳で、一部の限られた人だけがヴェルサイユ宮殿の贅沢を堪能していた。


私は思う。歴史遺産を訪れる醍醐味は、当時は誰でも足を踏み入れることができなかった場所に、足を踏み入れて、当時の雰囲気を感じながら、思いを馳せることにあるように思う。


ヴェルサイユ宮殿を訪れてみて、フランスとオーストリアの政略結婚として、15歳の若さで後のルイ16世となるルイ・オーギュストと結婚したマリー・アントワネットという人に興味が湧いた。そして、パリの街とマリー・アントワネットの生涯に思いを馳せてみようと思う。


つづく

マリー・アントワネットとパリの街2

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右岸と左岸を結ぶ橋。橋は、私の知らない世界へ連れて行ってくれるもののように感じる。困難を表現するものには、壁や谷が代表的であるが、都市部では川だろう。川に一本の橋が架かるというのは、思いの外、とても大きなことのように感じる。


現代で例えるなら、輸送機器の発達で国と国が近くなったことで、かつては、それぞれ独立した国であったものがいまや航空機ですべての国々がすべてが繋がっている。かつては異質の地域を繋いだのは、橋であったはずだ。


外交などの話題でも、”両国の橋渡し”という言葉があるように、橋というものは2つのものを繋ぐ役割も持っている。よく知る馴染みの街から橋を渡った先にある新たな世界へと向かう人を橋は静かにその時を待っている。


橋を渡ったその先には、平らなアスファルの道ではなく、土の道、または砂利道のような道のりが待っているかもしれない。足を元をしっかりと見据えていないと怪我をしてしまうような道のりかもしれない。


高速道路のような道では運転技術はそれほど問われない。しかし、悪路では、運転技術だけが頼りになる。それでも、いやそれだからこそ、単調な道よりも自分の運転技術を磨きながら進む道の方を私は選ぼうと思う。


まだ見ぬ未知の世界へ橋を渡ってみようではないか。


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パリの橋

パリを東西に流れるセーヌ川には、現在37の個性的な橋が架かっている。その中で1607年に完成した、現存する最古の橋、ポン・ヌフ(Pont Neuf)。


「新橋」を意味するこの橋は、建設当初はその斬新さによって注目を集めた。従来の橋と異なり、橋の両端に建物がないこと。車道と歩道が分かれていたこと。公共の場に初めて彫像が置かれたこと。この彫像はアンリ4世の騎馬像だが、現存するものは1818年に作り替えられている。

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旅に出かけるとどこからともなくある日の記憶が蘇る。小学生だった私は友人三人で隣町の映画館に出かけた。その日は夏休みの良く晴れた日で青い空の記憶がある。


保護者がいない初めての遠出に不安よりも、自分たちだけで出かけることに少し大人になった高揚感を感じていた。友人の母が小さな紙に描いてくれた映画館までの手書きの地図を握りしめてバスに乗った。


隣町は川を一本隔てた場所にすぎないのだが、人・車・ビルの多さ、そして何より都会の喧噪に圧倒された。自分がこれまで見てきた世界とはまったく別の世界が目の前に広がっていた。


パリという街を訪れて感じたことは、自分が見ていた世界が、広い世界のほんの一部に過ぎなかったのだということ。至極当然のことであるが、ときにひとは、自分が生きる世界が世界のすべてであるような錯覚に陥ることがある。半歩でも、いまいる場所から脇にずれて世界を見れば、いままで見ていた景色がかわることだってある。


世界には、たくさんの人種がいて、たくさんの文化が存在する。それはなぜか。生物には多様性が必要で、多様性を持たない生物は、ひとつのきっかけで絶滅してしまうことがあるそうだ。そして有史以来、絶滅した生物が復活したことはない。だからこそ、いかに絶滅を回避する仕組みを持つかがとても重要になってくる。多様性、つまり、さまざまな人種、文化、価値観が絶滅回避には必要なのである。


情報化社会の発達で巷には多くの情報が溢れている。しかし、それは他人の視点を通して発信された情報であることを忘れてはならない。私たちはいま他人の視点からの情報はたくさん持っているが、自分の視点から得た情報を持たなくなりつつあるのではないだろうか。自分の目で見て感じることでしか、本当の真の情報は手に入れることはできないのは、今も昔もそしてこれから先も変わらないことだろう。


だからこそ人は自分の視点からものをみて、判断をし、自らの意見を言葉にのせて伝え、行動をして実際に示すことでより良い社会が構築されてゆくのだと思う。

駅伝ではないけれど、受け取った襷(たすき)をよりより記録を目指して、次へ繋げる努力が、私たちひとりひとりに求められているように思える。


モンマルトルの丘で芝生に腰を下ろし、パリを歩いた疲れを癒しながら、そんなことを考えたことを思い出した。


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