マリー・アントワネットとパリの街2
マリー・アントワネットはフランス人ではなく、隣国のオーストリアのウィーンで、新生ローマ帝国皇帝フランツ・シュテファンとマリア・テレジアの第15子として生を受けた。
マリー・アントワネットが生まれた18世紀のヨーロッパは、いくつもの国が領土争いをつづける群雄割拠の時代だった。
マリー・アントワネットが生まれたオーストリアとのちに嫁ぐことになるフランスは、17世紀以来ずっと対立関係にあった。
しかし、新興国のプロイセン王国(ドイツ)が勢いをましてきたために、脅威に感じたオーストリアとフランスが1756年に同盟を結ぶことになった。
そしてルイ・オーギュスト王太子(のちのルイ16世)とオーストリア皇女のマリー・アントワネットの政略結婚に繋がった。ルイ・オーギュスト17歳、マリー・アントワネット15歳、若い二人の結婚式は、1770年5月16日、ヴェルサイユ宮殿で行われた。
ガラス張りの馬車に乗っている若い二人を見ようと多くのひとが集まっていた。馬車が進む道には花がまかれ、オーストリアからきた王太子妃の若さと美しさに目を見張ったという。広場には、ワインや丸焼きの牛、大きなカゴには山盛りのパンが並んで結婚を祝った。
つづく