体罰と称して子供を虐待、体罰はだめなのか? | kitani1のブログ

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私自身は体罰をしないように子育てをした。

しかし、体罰がゼロかといえば違う。

顔はたたかないようにしていた。けがをさせる可能性があがるためだ。

それかといっておしりでもない。

頭を平手でたたいた。

もちろん憎んでたたくことはなかった。

 

ひどい事件があった。

詳しく知らないが、これからは一律禁止になるらしい。

 

親子のコミュニケーションを法律で一律に決めることはどうだろう。

饒舌に子供をしかることのできる親もいれば、言葉が苦手な親もいるだろう。

逆に言葉でしかるられても、理解できない(こたえない)子供もいるように思う。

 

今回のように特殊な親が出たとき、初期段階でどのようにキャッチし、どのように対応するかを考えた方がよいと思う。

ほぼ素人と言える児相・教育委員会では対応できない。

 

日蓮大聖人は、しつけとしての体罰は、特に問題視しておられていないように思う。

どの故事から引用されたのか知らないが、木の弓によって打たれた為に、得脱できた、とする例をあげておられる。

上野殿御返事

「子を思ふ故にや、をやつきの木の弓をもて、学文せざりし子にをしへたり。然る間此の子うたてかりしは父、にくかりしはつきの木の弓。されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、立ち還って見れば、つきの木をもて我をうちし故なり。此の子そとばに此の木をつくり、父の供養のためにたて、てむけりと見へたり」1360