「物理学は全て正しい証明に基づいているので全て正しい」と考えている人がいます。未発見の最後の粒子「ヒッグス粒子」が見つかり、「世界を構築している全ての粒子が分かった」と思っている人もいるかもしれません。
しかし、これは全て仮説と仮説の実証でしかありません。これ以上の理論は「今はない」と考えるのが正しい考え方です。
ニュートンが力学を体系づけたとき、物理学者は「もう発見するものがない」と嘆いたものです。しかし、電磁気学が発達すると新しい方程式が造られ、さらに相対性理論へと発展していきました。
学者の証明されたは「仮説にあったことが現実に起こることを確かめた」だけで、厳密に言えば証明とは言えないのです。少し難しい表現になりますが、「一種の閉じられた世界では、理論通りの結果が得られる」です。「現在のところ矛盾が生じなくなった」とも言えます。
宇宙を完全に網羅する理論はないのです。おそらく永遠に探し続けることになるように思います。
これは多くの学問でも同じ事です。「証明された」は「閉じられた世界では」をつけることが必要です。
仏教では宗教の正しさをはかる方法として三証というものがあります。理証・文証・現証です。
仏教が理論的であるかは、我々では、見えない世界まで言及しているわけですから、「説明に現実と矛盾があるか」「全ての説明につじつまがあうかどうか」で判定することになります。これが理証です。