仏教では心と身体の関係をどのようにとらえているのだろうか。心と身体は不二(色心不二)ととらえる。別々に存在するものではないとする。これについては大変難解で未だに分かった気がしていない。
また、この不二は「而二不二」(二であって、しかし二でない)と説かれている。紙の表裏の関係のようなものだろうか。表裏は、離すことはできないけれど、それぞれを別に見ることができる。
従って、心のはたらきは身体の働きとなって現れ、身体の働きは心のはたらきとなる。これから考えると「心の成長は身体の動作によって図る事ができる」ともとらえられる。心を鍛えるには、正しい姿勢や正しい振る舞いを行うことによりできると言うことになる。
生命という観点からとらえると、「心」と「身体」とさらに「命」を説く。「空」「仮」「中」の三諦と説かれるものだ。身体が死に心が隠れても、現世で積んだ業(行い)は、因果の観点から、未来へつながると説かれている。小乗仏教ではこの「空」のみに着目していて「諸行無常」となるわけだ。しかし、「中」の存在をどのように理解していくかにより大乗仏教への発展がある。
この「色心不二」「空仮中の三諦」の教えは、現在の科学と共存できるものだ。また、物理学のエネルギー・物質・場にもあてはまりそうだ。