仏教では心と肉体についてはどのように説いているのだろう。
先ず、非情・有情と言う言葉を知ってほしい。「情」(じょう)とは心のはたらきととらえるようだ。
「非情は心のはたらきが見えないもの」「有情は心のはたらきが見えるもの」
岩石は心のはたらきが見えないので、非情となる。けれど、イヌはある程度見えるから、有情になる。
人は当然有情だ。けれどイヌと人を比べると、イヌは非情となる。相対的にとらえるようだ。植物と岩石を比べると、植物は有情ともとらえる事ができる。ただ、動物は有情、植物・岩石は非情ととらえる事が一般的なようだ。
「イルカを食べるのは野蛮?」
「イヌを食べるのは野蛮?」
「牛を食べるのは野蛮?」
「ニンジンを食べるのは野蛮?」
人は、コミュニケーションが保てる生物を食べる事は野蛮と考えている。牛やニンジンを食べることを普通と考える人や、牛は食べたくないと考える人もいる。
進化の過程を見てみると、心を獲得するように進化している。仏教で見ると当然だ。心こそ大事なのだ。つまり、生命(草や岩石を含めて)が目指すのは最高の有情だ。最高の有情こそ仏(悟った人)だ。また、それを邪魔するはたらきもある。
華厳経に「心は匠の絵師」とある。現在的に言えば「心こそ人生創造の母」?
これは「仏の境涯ですら心のはたらきにより得られる」と説かれている。また、法華経ではさらに深く説かれている。悟りの境涯はどのようなものなのかは、長くなるので後日に予定するとして、仏教は心に重点を置く事を付け加えておきたい。
仏教から見ると「進化は有情を作り上げるために起こっている」と考えられる。つまり、物質に内在する「情」の発露だ。