問「大乗経は仏説ではない」
答「大乗非仏説は学者の感想文であって証明になっていない。もしそうなら、どうして、大乗教が優れているのか」
問「そんな事はない」
答「だったら、法華経に説かれている一念三千・円融三諦に間違はあるのか。あるいは、同じような経文はあるのか」
問「・・・」
問「大乗経典は、小乗経典に比べ成立年数に時間がかかりすぎている」
答「現在の時間の感覚で考える事は、間違いである。日蓮大聖人の伝記、道元の伝記それぞれ死後二百年後である。まして口伝を当然としていた時代である。時間の差は大した問題ではない」(日蓮正宗は日道上人によるものがあり早い)
「小乗教派と大乗教派の2つに完全分離していたとの思い込みによる間違い。小乗経典は真理の表層部分しか説かれていない。大乗経典は、小乗教が浸透するまで、時間をおくことは、真理を伝えるためには必要と考えれば、自然なことである」
問「大乗経典は、釈尊の時代より、かなり、後の言葉を使っている」
答「教えを伝えることが目的であり、直接の言葉にとらわれる必要はない。その時代にふさわしい言葉に換えることが自然である。現在の社会をみても学者の使う言葉はよく変わる」
問「大乗教の論にアショカ王の結集の様子がない。大乗経典はそれ以降、創られた」
答「大乗教派・小乗教派がすべて、対立していたと考える間違い。すでにあるものを特に示す必要はない。現在の大乗教派の宗派でも多く小乗経典を引用する」
問「初期の小乗教の論に大乗批判がない。大乗経典はそれ以降、創られた」
答「小乗教派と大乗教派と常に対立していたと考える間違い。初期は大乗経典を弘める時期を待っていたと考える事ができる」
難詰して
「釈尊の50年の説法された姿は、小乗経典の内容と矛盾している。明らかに人を救おうとする菩薩に姿であり、悟りを伝えようとする仏の姿である。」
「小乗教の諸行無常は、宇宙法界の表層部分「空」しか説いていない。一念三千、円融三諦等の真理を説いていない」
「竜樹・天親等の大論師は、誰も大乗経典は釈尊の教えとしている。現在の凡智で計るべきでない。」
「法華経の末法の予言・的中を誰が説いたというのか」
「日蓮大聖人は大乗経典から蒙古の襲来を予言・的中されている。大乗経典の正しさの証明である」
「法華経中心に見ると全ての経典のつじつまがあう」
「文献主義は今まで多くの間違いを犯してきた。山本勘助はいなかった。親鸞はいなかった。釈尊はいなかった。縄文文化は東北にはないなどと・・。大乗非仏説もその間違いの一つだ」