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北風家のおやじのブログ

がごめ昆布を漬け込んだオリーブオイルを主原料にした手作り石けん、がごめオリーブ石鹸を作っている北風家ねっとのおやじのブログです。
”まじめにていねいに心をこめて”をモットーに家族で頑張っております。


huku
「今日帰ってまいりました!ありがとう福ちゃん」









今朝は今年の第一生命サラリーマン川柳100選より
ご紹介します。




1 キミだけは オレのものだよ マイナンバー


2 本物の ビール3本 わが爆買い


3 みつをから 修造になる 父語録


4 「何欲しい?」「ママのトリセツ」子が真顔


5 下町が 見せた日本の 底力


6 「ご」を打つと 自動変換 「ごめんなさい」


7 部下の言う 「課長やばい」は 褒め言葉


8 どうなった?「確認します」はやってません


9 社の無駄を すべて知ってる シュレッダー


10 課長また アレアレ詐欺の ような指示


11 「出来ません!」言えるあなたは 勝ち組です


12 「まぁ聞けよ」もう聞きました 5回ほど


13 ただでさえ 無礼な部下の 無礼講


14 ミスをして てへぺろ返す オレの部下


15 安月給 伸びしろあると 褒められる


16決めるのは いつも現場に いない人


17 男よりトイレを磨けと 妻が言う


18 イクメンは 子よりも妻に 気を使い


19 我が家では イエスかハイの 二択制


20 辞書にない 難読難解 生徒の名


21 どっちだよ 上司の意見 両極端


22 不機嫌な 妻にトリセツ あった?カナ


23 「大丈夫?」最後はSiriに 励まされ


24 4Kで 家賃いくらと 母が聞く


25 自撮りした 写真見るのも 自分だけ


5月にはベスト10が発表になります♪


あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます

rusuana
「今朝もお留守です」













今朝は前阪俊之さんの著書よりご紹介します。


平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)さん 107歳 木彫家。91歳で文化功労賞を受賞。98歳でアトリエを新築。

実践、実践、また実践。
挑戦、挑戦、また挑戦。
修練、修練、また修練。
やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。
今やらずしていつできる。俺がやらねば誰がやる

この言葉が90歳を過ぎてのものというから、その気迫には圧倒されます。

100歳のときの新聞のインタービューには次のように答えている。
「年は向こうから来るから断れんし。逃げようがない。それで、とうとう100になってしもうた。それでもまだ仕事が残っております」

104歳の頃の日課は――

●午前3時・・・・   起床。2年前まではこのあと新聞の切り抜きをして
           いた
●午前7時半・・・   食事(好物の御雑煮など)約30分
●午前8時頃・・・   書道 半切れ5、6枚
●正午 ・・・・・   昼食(イングリッシュマフイン、ハムエッグな
            ど)その
後、歩く練をしたり、指圧を受ける(火、金曜日)
●午後3時・・・・おやつ(抹茶に和菓子少々)その後入浴
●午後6半頃・・・夕食(笹巻きずし)
●午後8時・・・・就寝

肺炎で病床についた平櫛さんは1979年(昭和54年)12月21日朝、
「私はこれから旅に出ます。お供も弁当も入りません。あとを宜しくお願いします」
これが最後の言葉。107歳10ヵ月で大往生した。

「百寿者百話 生き方上手の生活法」
前阪俊之さん
海竜社より。


あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます


hukucyan
「今日は留守でした」









今朝はカウンセラー・吉岡俊介さんのお話をご紹介します♪


私は今、カウンセラーとして男性の悩み専門のカウンセリングをしています。
2001年までは24時間企業戦士でした。
24年間務め、早期退職をしたのです。リストラでした。

翌日、うつになりました。
支えるものがなくなってしまい、ガックリと来たんです。

多くの友人は慰めてくれる人が多かったのですが、
唯一、あまり良い顔をしなかった人がいました。

妻の父親でした。
一番きついことを私は言われました。
義父は大正生まれで、戦後に工務店を立上げました。
小さな会社ですが、関取みたいな体格で、若い衆を10ぐらい雇っていました。
義父からしたら、定年まで全うせず、途中で挫折した私を見て、情けないと思ったのでしょう。

「どうするんや、お前。いつまでフラフラしとるんや!」

そんな風に責められました。
結局それから3年間、私は何もせず過ごし、ひどい言われようでした。
そんなとき、男性に特化した専門の相談窓口を作るから手伝ってほしい、と声を掛けられました。

私は義父に、「やっと自分もまともなことをやるようになった」とドヤ顔で報告に行きました。
すると、こう言われました。
「なんやお前、いくじなし相手の仕事か!しょうもなっ!」
私はこの人とは話にならないと想い、それ以来、義父と接することを極力控えました。

そんな義父との関係が180度変わる出来事が起こりました。
心筋梗塞で義父が倒れ、入院したのです。
発見が少し遅かったらアウトという状況でした。

病院にお見舞いに行くと、義父はベッドの上でしょんぼりしていました。
うつろな目で私を見ながら、小学校時代の話を始めました。
義父は母一人、子一人の家庭で育てられ、お母さんは水商売をしていたので、いつも一人でした。

そんな話を初めて聞いた私は、カウンセラーモードになりました。
「うんうん。つらかったね。悲しかったですね」
そう言いながら義父の話を聞くと、目から大粒の涙を流し始めました。
それからしばらく、涙を流しながら、80年の人生を語ってくれました。
このとき義父は、80年間我慢していた涙を全部流したんです。

そして、「男の縛り」から開放され、「男の鎧」を脱いだのです。
この日以来、義父は元気になっていきました。
そして退院後、初めて私の事務所に来ると、
カウンセリングに興味をもち、私の話にも熱心に耳を傾けてくれるようになりました。

これからの男性の生き方のキーワードは、
「肩の力を抜く」
「しなやかに生きる」です。

ぜひ肩の力を抜いて、柔らかく生きる生き方をしていってください。

みやざき中央新聞より。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます