今朝は北川八郎さんの著書よりご紹介します。
釈尊はいう。
他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見難い。人は他人の過失を、
風に向かってもみがらのように吹き散らす。
他人の過失を探し求め、常に思いたける人は煩悩の汚れが増大する。
他人の頭のハエは追い払い易いが、自分の頭のハエは追えないとよくいわれるように、自分を改めることは、難しい。特に気に入らない人にいわれると腹立たしくなるだろう。
他の人をあれこれ評価する人は、自分がどう見られているかが気になり、他人の目、つまり評価を苦にしてしまう。やがて、友を失い孤立の道を歩む。
そんな自分が嫌になったら他人に善意をもつ練習をしよう。他の人が元気で笑顔に満ちていることをいつも心に願うことをやってみよう。心に浮かぶ悪しき感情や、性癖をのり超えることを、今生の課題としよう。
他人と自分の苦を除いてゆこう。他人に投げた矢は、やがて自分に返ってくる。他の人に厳しい評価や、傷つけるような言葉、感情を投げつけることをやめるがいい。
そうすると、あなたが救われることを知る。笑顔がうまれ、他の行動が気にならなくなり、人生の車輪が回りはじめることを体験するだろう。
笑い話だが、熊本の大手会社の裏社員則に「大きくのの知れ、他人の失敗、ひっそり隠せ自分の失敗」というのがあると聞いた。もし、それが社員に行き渡ると、その会社はギスギスした雰囲気の中で、やがて部内対立が日常化してくることだろう。
過失には取り返しのつかない過失と。取り返しのつく過失があることを知ろう。よく注意して他人を責めず、取り返しのつかない過失を犯さなければ、人生は楽しい。
「ブッダのことば」
北川八郎さん
致知出版より。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
今朝は松下幸之助さんの著書よりご紹介します。
人間お互いに落ち着きを失ってくると、他人の庭の花がなんとなく赤く見えてきて、コツコツまじめにやっているのは自分だけ、人はみなぬれ手でアワ、楽をしながら何かぼろいことをやっているように思えてならなくなる。
だから自分も何かひとつ思いがちだが、そう世間はゆるさない。
人情として、時にはこんな迷いを持つのもムリはないけれど、この世の中に、決してぼろいことはないのである。
楽なことはないのである。
あるように見えるのは、それはこちらの心の迷いで、ほんとうは、どの人も、やはり一歩一歩地道に積み重ねてきた着実な成果をあらわしているのであ
る。
だから努力もせずにぬれ手にアワみたいなことをやってみても、それは虫が良すぎるというもの。
一時はそれですごせても、決して長つづきはしない。
結局は失敗ということになる。
これがものの道理であって、この道理をはずれた望みを持つのは、それこそ欲が深いというものである。
欲が深いは失敗のもと。
やはり、ものの道理に適った道を、一歩一歩あゆんでいきたい。
「もっと大切なこと」
松下幸之助さん
PHP研究所より。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます