今朝はみやざき中央新聞最新号より博多の歴女・白駒妃登美さんの
連載シリーズ『もっと知りたい日本人 感性の日本史』をご紹介します。
昨年、2020年の東京オリンピックの開催が決まりましたが、
1964年の東京オリンピックの招致活動にも、感動的なドラマがありました。
当時、日本は敗戦国という理由で、1948年のロンドンオリンピックに参加できませんでした。
それからおよそ10年、「敗戦国だからこそ、東京で開く意味がある」と、
準備委員会が立ち上がりました。
オリンピック招致で活路を見いだせるとしたら、それは
日本が戦争で戦わなかった国々から賛同を得ること。
具体的には、中南米の国々からいかに票を集められるかにかかっていました。
その票集めの責任者として、ロサンゼルス在住のフレッド・イサム和田という
日系二世の方に白羽の矢が立ちました。
当時の日本は外資が不足していたため、スポーツの国際大会に出場する代表選手を、
ロサンゼルス在住の和田さんが、自宅に泊めてあげたり、身銭を切ってお世話していたのです。
それで、「和田さんならきっとやってくれるのではないか」と、声がかかったのでした。
「東京でオリンピックが開けるなら、自分の店なんてもうどうでもええ。
東京で開かれたら日本は大きくジャンプできるし、
日本人に勇気と自信を持たせることができる。
それが僕に与えられた使命、責務やと思う」
そんな熱い想いで和田さんは40日間仕事を休み、
旅費も、現地のIOC委員に渡す手土産も、すべて自費で用意し、
奥様の正子さんと二人、中南米を回ったのです。
このとき50歳。
決して裕福だったわけではありません。
しかし、祖国を想う気持ちが和田さんを突き動かし、
メキシコやキューバから東京への投票の確約を取り付けていきました。
ブラジルは、「IOC総会に出席できれば東京に投票するが、総会に行く飛行機代がない」
と言いました。
和田さんはすかさず、「私が出します!」と答えました。
その言葉がブラジルに住む日系ブラジル人たちの心を揺さぶり、
「和田さんに出してもらうのは我々の恥だ。旅費は我々が何とかする」
と立上ったのです。
祖国日本を想う日系ブラジル人の心にも、和田さんは火を点けたのでした。
こうして各国を回り続ける和田夫妻の姿は感動の渦を巻き起こし、
続々と東京へ投票することを約束してくれたのです。
そうして1959年。
ミュンヘンのIOC総会での投票で二位以下を大きく引き離し、
下馬評では最下位だった東京でのオリンピック開催が決定しました。
その後、和田さんは、1968年のメキシコシティと1984年のロサンゼルスでのオリンピックの招致と開催に、恩返しとばかりに貢献します。
和田さんはいつも、誰かのために動き続ける情熱があったのです。
2020年の東京オリンピックの招致にも、
数多くの方々が、支援していたんですね。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
