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今日は京都大学、、、最後の名物教授と呼ばれた森毅さんのお話です。
「できる子」が「できない子」に教えるのを、「助け合い」のようにいうが、それはとんでもない誤りだ。
人が人にものを教えるとき、利益を受けるのは、だいたい教える側である。
学校の先生なら、たいてい思いあたるだろうが、生徒に教えるようになってから、いろんなことがわかるようになったはずだ。
少なくともぼくは、学生に教えることで、その数学がわかるようになった。
わかっているから教えるのではなく、教えるからわかるようになるのだ。
それでぼくは、中学あたりに塾をひらくことを奨めている。
教える相手は、お母ちゃんでよい。
学校で教わったことを、ものわかりの悪いお母ちゃんたちを集めて教えれば、勉強ができるようになることは保証する。
『一刀斎、最後の戯言』平凡社
森毅氏は、「モリツヨシ」「モリコワシ」「モリキ」「一刀斎」の四つの名前を持つ男で、おそらく学生から最も気軽に話しかけられた京大教授だったといわれています。
「人生、ムダにこそ意味がある」という森氏の言葉は、ヒネリとウイットにあふれています。
ある母親の話です。
家が貧しくて、塾に行かせるお金もなく、遅くまで仕事で忙しかった母親でしたが、子どもが帰ってくると毎晩、必ずしていたことがありました。
それは、子どもに「今日はどんな勉強をしたの?」と聞くことでした。
「お母さんは、子どもの頃、あんまり勉強しなかったから、今、勉強が分からなくて困っているの。
だから私にもわかるように教えて」、と子どもに頼みました。
子どもは、お母さんに教えるために、必死で学校で勉強し、ついには学校で一番になってしまったそうです。
誰かに何かを教えるには、自分が教える相手以上に勉強しなければ、教えることはできません。
同様に、ブログやメルマガを発信すると分かりますが、結局は発信している自分が一番の勉強になるわけです。
発信するには、ネタを探し、内容の勉強しなければ、書き続けることはできないからですね。
ドアや玄関では、「出入り口」というが、「入り出口」と言わないように、「出せば入ってくる」のです。
見返りを期待しないで、出し続ければ、結局は自分が一番得をすることになるのです。
やればできるもん・・・
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