今回、鶴岡文庫からは「御成敗式目 鶴岡本」と「新刊吾妻鏡」を | 吉田揚子の鎌倉大好き

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◉鎌倉在住 漢方スタイリスト 文筆家 鶴岡八幡宮鶴岡文庫学芸員◉オリジナル漢方茶SHOP「きたかまくら日々響 」代表 □新刊「季節と暮らす12カ月 漢方養生ダイアリー 」第3刷重版中 ほか著書多数。
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今日は鎌倉文華館鶴岡ミュージアムのヘルプに少し入っていました。日曜日とあって、多くの方々にお越しいただき嬉しかったです。


さて、鶴岡文庫からの展示について少しお話します。今回、鶴岡文庫からは「御成敗式目 鶴岡本」と「新刊吾妻鏡」を展示していただいています。


源頼朝によって建立された鶴岡八幡宮は、かつてはご存知のように神仏混淆の宗教施設でありました。その社役を務める僧侶である供僧(ぐそう)たちが鶴岡八幡宮の北西に設けた二十五の住坊の総称を「鶴岡二十五坊」といいます。


現在、神奈川県鎌倉市雪ノ下の御谷(おやつ)とよばれる一帯(神奈川県立近代美術館鎌倉別館と、わが鶴岡文庫から北)が二十五坊の所在地。鶴岡文庫は、千南坊(正覚院)があった場所に建ってるんですよー。


でも、その二十五坊も鎌倉幕府が滅亡してからはどんどん荒廃して、天正年間までには合計7坊にまで減少。文禄年間に徳川家康が5坊を再興し12院となりました。


その12院のひとつ、「相承院」というところに残っていたとされる「御成敗式目 鶴岡本」が今回展示されている古記録です。51箇条の一番最初のページ(第一条 一、可修理神社專祭祀事)を開いて展示していただいています。


もうひとつは「新刊吾妻鏡」。

義経を想い舞った静御前の有名な「しづやしづ〜」のページと、1180年に頼朝によって鶴岡八幡宮が現在の場所(小林郷)に遷されたときのページを開いて展示しています。


「静」とか「小林郷」とか「鶴岡」とかキーワードを探してみてくださいね。


ほかにも、古文書&古記録では、秀吉の朱印状の「こどもの手のひらの痕」にご注目。おそらく朱印状を書くときにこどもに紙を押さえてもらっていた痕ではないかといわれています。


源頼朝袖判下文や葵の御紋の印籠と鎌倉日記、徳川家康が鶴岡八幡宮に送ったお礼状など貴重なお宝がたくさん展示されています。壺の形をした「壺印」がかっこいいです!



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