もう、今年も終わろうとしております。
私のこの1年間は、深い・・深い・・いろいろな意味のある一年でした。
心のどこかで・・グレーの部分があって、
それを、どうしたら良いのか?と昨年の秋ごろから考えて悩んでいたところ、
ある方とSNS上ですが、出会い
そこで、「貴照として自分がすべき事」「私が本当にしたいこと」の
原点に気付きを頂きました。
長沼様、ありがとうございます。
Facebookにて頂戴しましたコメント・・・
このメッセージは、私が探していた答えの
天からのメッセージだと、心が震える思いでした。
梨左さんにとって今年は、高島嘉右衛門との出会いであり、過去への回帰の一年だったようですね。
自分… 自身と他人とを分かつ。
「自分」という言葉には、自分は自分であり、他人が何と言おうと突き進む「信念」が込められているのだと思います。
日本で初めてガス灯を点した高島嘉右衛門もまた信念の人でした。
ガス事業は当初、横浜で活躍していた有力商人9人による共同事業として始まりました。
ところが事業開始後まもなく、ガスという未知なものに不安を覚えた仲間が次々に離脱し、嘉右衛門ひとりになってしまいました。
それにも関わらず、嘉右衛門は日本の新しい時代の夜明けを照らす灯りを点すべく、信念を持って単身ガス事業を継続し、横浜に日本で初めてガス灯を設置したのです。
嘉右衛門は、「易は感通の学問である」と述べています。
そして生涯に渡って大切にしていたのが「天地一指」という言葉。
これは元々は中国の古典『荘子』に載っている言葉ですが、嘉右衛門は自分流に解釈して、
「天(天命=神の啓示)と地(自分)は筮竹を操る一本の指で繋がっている」というものです。
先に嘉右衛門が解釈したと書きましたが、実際はこの言葉の四文字を見て私なりに解釈したものです。
おそらく嘉右衛門はそのように解釈したのでしょう。
嘉右衛門にとっての「易」は占いではなく、神の声を感じ取る「感通学」だったのです。
私は、そろそろ・・自分の老後の事も考えていかなければならない年齢になりました。
今まで研究をしてきたことや作り出してきたことを
次への時代へ、つなげていくことも考えていかなければなりません。
また、この「コロナ禍」は、そんな私に「最後にまだすることがあるだろう!!」と
語り掛けてきました。
高島嘉右衛門が、どのような思いで横浜を見てきたのか!
そんな、大きなことは私にはできないのですが、
大正父ちゃんが、嘉右衛門の存在を私に気づかせたのには、何か意味があると思い、
その意味が全く分からないと思っていたら、ガイドをしてくださる方とも出会い、
本当に、今年は私にとって深い1年でありました。
私の今年は、このように何かに気づく年回りであり、その気付きを形にしていく
まさに、過去への回帰の一年でありました。
大正父ちゃんが何を私に求めているのか?
きっかけとなる、高島嘉右衛門との出会い、さらに一人では理解ができない
さ迷いの私に、ガイドをしてくださった「長沼様」との出会い、
今年は、出会いがあり、気付きがあり・・30年間の仕事の事も天の川も
原点を考える、年回りでした。
令和2年は、
私にとって、考え深い1年でした。
意味ある、出会い
心から感謝申し上げます。
これからの自分の行動の原点に立つ
いろいろとリセットをかけ、
新たに構築してまいります。
令和2年、ありがとうございました。
令和2年、お世話になりました。