私の今年・・・ | 貴照良日

貴照良日

鑑定歴32年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをして鑑定していた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモート鑑定も行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

もう、今年も終わろうとしております。

 

私のこの1年間は、深い・・深い・・いろいろな意味のある一年でした。

心のどこかで・・グレーの部分があって、

それを、どうしたら良いのか?と昨年の秋ごろから考えて悩んでいたところ、

 

ある方とSNS上ですが、出会い

そこで、「貴照として自分がすべき事」「私が本当にしたいこと」の

原点に気付きを頂きました。

 

長沼様、ありがとうございます。

 

Facebookにて頂戴しましたコメント・・・

このメッセージは、私が探していた答えの

天からのメッセージだと、心が震える思いでした。

 

梨左さんにとって今年は、高島嘉右衛門との出会いであり、過去への回帰の一年だったようですね。

自分… 自身と他人とを分かつ。

「自分」という言葉には、自分は自分であり、他人が何と言おうと突き進む「信念」が込められているのだと思います。

日本で初めてガス灯を点した高島嘉右衛門もまた信念の人でした。

ガス事業は当初、横浜で活躍していた有力商人9人による共同事業として始まりました。

ところが事業開始後まもなく、ガスという未知なものに不安を覚えた仲間が次々に離脱し、嘉右衛門ひとりになってしまいました。

それにも関わらず、嘉右衛門は日本の新しい時代の夜明けを照らす灯りを点すべく、信念を持って単身ガス事業を継続し、横浜に日本で初めてガス灯を設置したのです。

嘉右衛門は、「易は感通の学問である」と述べています。

そして生涯に渡って大切にしていたのが「天地一指」という言葉。

これは元々は中国の古典『荘子』に載っている言葉ですが、嘉右衛門は自分流に解釈して、

「天(天命=神の啓示)と地(自分)は筮竹を操る一本の指で繋がっている」というものです。

先に嘉右衛門が解釈したと書きましたが、実際はこの言葉の四文字を見て私なりに解釈したものです。

おそらく嘉右衛門はそのように解釈したのでしょう。

嘉右衛門にとっての「易」は占いではなく、神の声を感じ取る「感通学」だったのです。

 

私は、そろそろ・・自分の老後の事も考えていかなければならない年齢になりました。

今まで研究をしてきたことや作り出してきたことを

次への時代へ、つなげていくことも考えていかなければなりません。

 

また、この「コロナ禍」は、そんな私に「最後にまだすることがあるだろう!!」と

語り掛けてきました。

 

高島嘉右衛門が、どのような思いで横浜を見てきたのか!

そんな、大きなことは私にはできないのですが、

大正父ちゃんが、嘉右衛門の存在を私に気づかせたのには、何か意味があると思い、

その意味が全く分からないと思っていたら、ガイドをしてくださる方とも出会い、

本当に、今年は私にとって深い1年でありました。

 

私の今年は、このように何かに気づく年回りであり、その気付きを形にしていく

まさに、過去への回帰の一年でありました。

 

大正父ちゃんが何を私に求めているのか?

きっかけとなる、高島嘉右衛門との出会い、さらに一人では理解ができない

さ迷いの私に、ガイドをしてくださった「長沼様」との出会い、

今年は、出会いがあり、気付きがあり・・30年間の仕事の事も天の川も

原点を考える、年回りでした。

令和2年は、

私にとって、考え深い1年でした。

意味ある、出会い

心から感謝申し上げます。

これからの自分の行動の原点に立つ

いろいろとリセットをかけ、

新たに構築してまいります。

令和2年、ありがとうございました。

令和2年、お世話になりました。