8月2日 距離 | 貴照良日

貴照良日

鑑定歴32年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをして鑑定していた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモート鑑定も行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

幼い時に
父と沢山遊んだ。

思春期になると
その父との距離がとっても遠くなった。

当時、父に嫌われていると感じるほど
目と目が合えば・・

俺の前から消えろ!と言われ・・

父が1階に下りてくれば、
私は2階へ
父が2階へあがってくれば、
私は1階へ

とにかく、同じ空気を吸うことを
許されないような環境でした。

どうにか・・父に好かれたい。

そんな思いで毎日・・毎日を過ごしていました。

13歳から34~35歳くらいまで・・
殆ど会話をしたことがない生活でした。

小学生までの父はいつも・・いつも・・
一緒だったのに・・・

13歳からは、食事も一緒の時間にすることも許されなくなり・・
父との距離が・・孤独を感じるようになりました。

このころ、血のつながりがないから・・
結局はこうやって距離がでてくるのかな~~って・・
なので、実の父に会いたくもなったり・・

でも・・・

私は相談を受けるお仕事をしてきて・・
気付かせてもらったことがあるんです。

私の父のような立場の方の・・
本当の気持ちを・・・

私が子どものまんまだったら・・
ずっと楽しく話せたんだけど・・
私が子供から大人になってきて・・
未来がかかっているから・・
親として
私の背中を押す役割をまっとうしてくれていたんだと言うことを・・・

私の自立のために・・

動物たちの世界と同じように・・・

それは、

私に息子が生まれたときに父から一言!!

「小さい時は沢山遊んでやれ!!
塾なんか行かせるよりも、いろいろと教えてやれ!
中学生になったら・・・
出来るだけ自分から離して自分で考えさせろ!!」
って

子どもの不安や失敗に・・
手や口を出さずに見守るって・・とっても大変。

わが子を育てて、見守っている自分は・・
自分との戦いでした。

守るはすぐにできるけど・・
見守るは親の私が絶えなくてはならない。


何事にも前向きに私は乗り越えれてきたのは・・
幼い時に、父がずっとそばにいて・・
どんなことでも乗り越えられる道や方法があることを
教えてくれた経験
・・・だと思う。

口を利いて貰えなかった時には気付かなかったけど

今・・

あのころとは全く違うベットの上の父は・・
私と口を利かなかったあの頃・・13歳~の私のことを
話もしていないのに・・知っていた。

いろいろな出来事があったことを・・
語ったことがないのに、知っていた。

中学校の時に付き合ってきた彼氏さんのことも・・
学生時代のアルバイト先のことも・・
就職のことも・・
働いていた会社の上司や仕事の内容も・・・

私は話してきていないのに・・
知っていた。そして・・詳しく覚えていた。

先日、そんな思いで話で時間があっという間。

親なんだな~~!

距離・・

必要に応じた距離・・

大人になった私が・・今度は
父との距離の管理をしなければ・・

父は、迷惑をかけまいと距離を取ろうとする・・
けど、

私は父を最後まで見守りたいので・・
その距離を・・・

管理したいと思います。

娘