近所に遊びにいけば・・そこに大人がいて・・
何かを教えてくれる環境でした。
小さな時から
お年寄りが大好きでした。
沢山・・沢山・・いろいろな昔話をしてくれるからでした。
私は横浜で生まれましたが・・
幼稚園の時に・・初めて長崎の親族の家に行ったのです。
初めて会う・・祖父母。
初めて行った時に連れて行ってくれたのが平和公園。
長崎の原爆の話を聞いて・・そして祖父母も私の親・・親の兄妹は
被爆者であることを知りました。
確か・・4歳のときだったと思います。
深い意味が分からなくてっも・・祖母の顔についている鼻が・・
ちょっと不思議な状態だったのを記憶しております。
原因は、「原爆」と聞きました。一緒に歩いていると近所の子供は・・
その祖母を指さして・・「変な顔」と言うんです。
好きでこうなったんじゃないのに・・「原爆」
その4歳のころから・・「戦争と平和」に心が向いたんだと振り返ると
考えられます。
原爆の話を聞いたのが4歳の記憶なので・・定かではないのですが
印象的だった私は横浜に帰り・・近所のまたおじいちゃん・・おばあちゃんに
報告すると・・今度は「関東も大空襲で原爆と同じような状態だったんだよ」と・・
衝撃でした・・・
家がみんな焼けちゃって・・人も焼けちゃって・・・顔もわからなくなったり・・
赤ちゃんが一人ぼっちになってたり・・人の事を考えられないほど・・
喉が渇いてて・・人を助けることすらも気づかなかった時のことを・・・

ウキペディアからです→東京大空襲
この写真をみると・・
津波で流されてしまった東日本大震災の映像と重なりますね。
関東大空襲は復興に10年かかったそうです。
長崎も、広島も、関東も・・今では過去を感じさせない現在があります。
福島の復興に向けて、私に出来る小さなことを続けさせてください。
長崎の原爆病で亡くなった親族・・
子供を残して先に逝ってしまった親族・・
原爆で足を失った親族・・
空襲で命を落とした親族・・
歴史として昔の話ですが・・
私の中では血の繋がっている親族の話なんです。
その親族に何もできなかった未熟な私。
その思いを今・・福島のしばちゃんたち仮設住宅の方へ
思いを届けられれば・・・
今日は一番大きかった関東大空襲の日と言うことで・・