アジサイ寺「長慶寺」と信達宿(’24) | 紀泉伝次郎・趣味のブログ

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【アジサイ特集】2024年

去年も6月12日に来てるが、

アジサイ寺

名刹「長慶寺」

に行ってきた。同時に、

紀州街道「信達宿」

のウォ-キングにも精を出して来た。

現地出発は「6時30分」である。

 

先ずは「長慶寺」の裏側から入って、存分に「アジサイ」を堪能し、正面から出て、紀州街道「信達宿」界隈をウォ-キングするという行程だ。

 

アジサイ寺「長慶寺」

さて、気持ちの良い早朝に、まだ人の気配が薄いころの「長慶寺」の境内は静まり返り、ただ斜めから差し込む陽光の眩しさだけが、写真を撮るにあたり、ハレ-ションを起こすのが「玉に瑕」である。

紅葉の時期と合わせ年に2回は来るというこの古刹の境内は、なかなか見事な「アジサイ風情」を魅せてくれる拍手

 

正面入り口から出て、次に向かうは「一丘神社」方面だ右差し

徐々に気温が上昇し、

今日はもう既に流れる汗をかきだした目!?

「一丘神社」に着いて参拝し、神社を取り囲むようにある「国史跡・海会寺跡」をぐるっと一回りし、戻って行くが住宅街の中の細い旧道を影を探してひたすら歩く右差し

すると、「赤井神社跡」という立派な碑を発見。この説明書きを読むと、「七堂伽藍」の揃った広大な境内を持った「仏生寺」があり、それを守るためにこの「赤井神社」等が南北朝時代には既に存在し、織田・豊臣の雑賀・根来征伐の折に全て焼き討ちに合いことごとく「灰」となった、と書いてある。

さらに「長慶寺」やその横にある「地蔵堂」や「真如寺」などの言葉が出て来るので、かなり広範囲の権勢を誇っていた寺であることが分かるカメラ

今日のウォ-キングコースには、

これらが全てが入ってるので、

少し今迄とは違った気分で、

見方を変えて歩けそうである、

と思いながら前進した右差し

サ-、「一丘団地前」の信号に戻って、

ここからは紀州街道「信達宿」の旧道を訪ね歩く右差し

いつも思うがこの細い道は生活道路で、交通量も多く、自転車や人の行き交いも多い、という歴史街道なのだ。

参勤交代の折に使われた「信達宿本陣跡」から、

徳川吉宗所縁の「真如寺」に寄って、

「君が代」に出て来る「さざれ石」を観て、

流れる汗を拭きふき進んだ右差し

さらに進んで行くと毎年観に来る有名な「野田藤」の前を通過して、古い家並みを眺めながらも、縦横無尽に走る綺麗な水が流れる「水路」のあることろで、陰になって椅子がある休憩所で一旦汗拭き休憩を取った。

さらに歩を進めて、

「信達牧野」の信号を

左折していくと

「砂川駅」

に着く右差し

「JR砂川駅」の自販機横の陰で一服してると、電車の音がしたので、慌ててカメラを出して撮ったカメラ。ス-パ-の横を通過して、戻って行く道も今迄歩いたことのない、車が通らない出来るだけ狭い、陰の多くある道をくねくねと戻って行くことにしたOK

 

やがて「長慶寺」黄金色に輝く「鳳凰」が見えて来た上差し

今回の「7.1km/2h12m」の歴史の旅は、

真夏の雰囲気が漂う早朝の汗かきは、

長慶寺に着いて「アジサイ」を見回ってる

【その時!】はまだましであったのに、

「一丘神社」に向かう辺りから、

一気に気温が上昇してきて、

帽子の中のてっぺん禿げに、

汗が充満して来るのが解ったのだびっくり

 

何故にここ迄汗をかくかと言うと、

住宅が密集する地域であること、

従って風が全く通らないという事に加え、

人の行き交いや交通量が多くて、

アスファルトジャングルに、

なってるからに他ならない上差し

 

海岸線だとここ迄一気に気温は、

上がることはないのだ目

これはもうこの身体で覚えた

実証済の経験でよく解るグッ

イヤ-、早朝からのウォーキングにしては、

頭から背中に至るまで汗にまみれた

今回のウォーキングは、

今年初の「一気汗現象」には参ったのであるショボーン

しかし「赤井神社跡碑」の「仏生寺」の存在や、

メインである「長慶寺のアジサイ」は、

暑さの中でも、目と脳に十分な刺激をくれた

そんなウォーキングであったと思う

今日この頃・・・上差しおねがい