第28回目【車中泊旅】
一日目の続き
(5/17昼からウォ-キングした場所)
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「観音峰」を下山して向かったのは、
①天河大弁財天社
を中心にしたその界隈にある
②南朝の行宮所来迎院
③南朝黒木御所跡
④六歌仙在原業平の墓
⑤足の速い神韋駄天社
⑥4体の円空仏栃尾観音
をウォ-キングで巡った。
さて、観音峰を下山した昼過ぎから、先ず向かったのは、
「天河大辨財天社」
ここはもうツ-リングで、何十年も前から来てる天川村では超定番のなじみ深い神社だ。芸能の神様という事もあり、多くの芸能人が良く訪れるという超有名な大神社だ。
しかしこの界隈は、全くと言ってよいほどに知らないのが現状だったので、この機会にと思いウォ-キングで巡ることにした
もう時間も昼過ぎとあってかなりの観光客が来ていた。出来るだけ人の写らない瞬間を狙って写真を撮ろうとしたが、それは無理だろう。
参拝を終えて、裏から出ると「役行者堂」の祠がある。その左の木の下に「天石」と呼ばれる神の領域をしめす「4つの石の一つ」があるのだ。
ネットで調べてみると、
この大弁財天社には「天石」と呼ばれる四つの石があり、この地は『四石三水八ツの杜』と言われ、四つの天から降った石、三つの湧き出る水、八つの杜に囲まれし処とされ、神域をあらわす、とあった。
ご利益がある様にと触りまくって来た
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南朝黒木御所跡
「役行者堂」のすぐ裏には、
南朝時代の「黒木御所跡」(御所の坊跡)がある。
ツーリングで毎年行く梅林で有名な「賀名生の里」にも、足利尊氏に追われた後醍醐天皇の「南朝時代の皇居」がある。今では重要文化財として保存されている。
しかし、この黒木御所跡は既に建物は無く芝生広場になっていて、片隅に、南朝北朝和解供養宝篋印塔が建てられて静かにその面影を残してるに過ぎなかった。南北朝時代には、後醍醐天皇、護良親王、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇が、天川郷を南朝奥吉野の拠点としていたことも調べて解った。
もっと何かワクワクするようなものがあると
期待して行ったのだが、マ-こんなもんだろう
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在原業平の墓
在原業平は、平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人である。自分がよく行く近隣の低山である深日の「源蔵山」に居を置いた藤原源蔵清正もまた36歌仙の一人であるし、また「学文字山」を下山した場所にある「影見ヶ池」も36歌仙の一人である「和泉式部」所縁の場所であることから親しみを覚えるのだ。
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南朝の行宮所来迎院
先ずはこの「来迎院」について調べると、
春は枝垂れ桜、秋には大銀杏が有名で、特に「大銀杏」は、高さ35mもある巨木は弘法大師のお手植えと伝えられており、県の天然記念物にも指定されている。当時の来迎院は、天河大辨財天社の七堂伽藍の塔頭の1つで、もともと天河大辨財天社の奥の御所跡に建っており、南朝の行宮所であったと伝えられている、という事である。
行って見ると、今では狭い境内に圧巻の「銀杏の巨木」が幅を利かせていた。御神木なので太い縄に「紙垂」がついていて、上を見上げると広がった枝ぶりが迫力満点であった
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井頭神社(韋駄天社)足の速い神
まだ真新しい社の中に二つの祠があり、「韋駄天社」は右側である。
ごくまれに今でも「韋駄天」という言葉を耳にすることがあるが、それの多くは「走り・マラソン」の中継の時に使われることが多い。
しっかり理解するために調べると、
【韋駄天】とは、仏法の守護神。 もとバラモン教の神で、 俗に、仏舎利 (ぶっしゃり) を盗んだ鬼 を追いかけて瞬時に取り返したというので、足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる、という事だ。
自分もこの歳になってるので、
「足は遅いが、口は早いよッ」
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「観音峯」登山中は、寒ささえ感じたのに、下山して昼を廻ってくると一気に気温が上がった上に、ズーッと歩きっぱなしの状態で足裏が悲鳴を上げて来たので、ここらで一休みしようと「天川」沿いの吊り橋にでも行って暫しの休憩を取ろうと少しばかり車で移動した。
走ってると「吊り橋」が見えてきたので、辺りを見回すと爽やかな「絶景」が広がっていたので近くに車を止めて、吊り橋の方へ向かった。
「吊り橋」のほぼ中央から眺める「上流・下流」の風景はもう言うことのない休憩気分をくれた。
10分程「吊り橋」で休憩をしてる時に、ツーリングで何回も来たことがある「円空仏で有名な栃尾観音」が、このすぐ近くにあることを思い出し、、まだまだ時間の余裕もあるので行って見ることにした
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4体の円空仏栃尾観音
もうバイク歴40年以上の自分にとっては馴染みの「栃尾観音」であるが、「円空仏」に付いてはあまり関心が無かったこともあり、まだ一度もお堂の中に入らず本物の「円空仏」見たことも無かったのだ。
また2024年2月2日(金)~4月7日(日)の期間「あべのハルカス」でこの円空仏の展覧会が開催されているというニュ-スがNHKなどでしきりに放送されていたことを思い出し、今回は靴を脱いで、お堂の中に入って「実物」を観ようと思ったのだ
扉を開けて、狭いお堂の奥には「4体の円空仏」が収められていた。
これも調べてみると、
生涯に12万体の仏像を彫ると誓ったといわれる円空(寛永9年〈1632年〉 - 元禄8年7月15日〈1695年)は、江戸時代前期の修験僧・仏師・歌人で、特に各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。現在までに約5300体余りの像が発見されているが、円空仏は全国に所在し、北は北海道、青森県、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである、という事が解った
大小の一刀彫のなかなか味のある仏像を全国旅して「彫り上げた」という信念に敬服である。
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気温も上がって歩きっぱなしなので、もうかなり「ヘロヘロ状態」になって来たので、泊地である道の駅「黒滝」に行くことにした
道の駅に着いた時はまだ車も多かったが、時間と共に少なくなって来た。
「道の駅」に入って夕食の弁当や土産などを買い、場所を決めてサ-、カーテンを張ったり、ベッドメイキングなどの車内を整備してるうちにうす暗くなってきた。
車内で、今日一日の日記を書いたり、明日の予定やコースを確認したり、同時に弁当を食べ終わったころには既に「夜のとばり」は降りていた
今日の昼からの「歴史ウォ-キング」は、
疲れの中にも「脳みそ」は冴え渡って、
本当に勉強になったと思ったことと、
AM中は、「観音峯」初登山し、
PM中は、歴史ウォ-キング、
と、歩きっぱなしの今日一日は、
🎵疲れを知らない子供のように~🎵
楽しさで充満していて、
来て良かったと思うばかりであった
ここはラジオも入りにくいし、TVも映らないので、全ての作業を終わってからの楽しみは、酎ハイをチビチビ飲みながら好きな「八代亜紀」のDVDを見ながら、うとうとして寝袋に入るのが確実に熟睡する自分なりのルーティンである
いよいよ明日は二日目、
ブル-バックに冴えわたる晴天
であることを切に祈りながら、
寝袋の首周りを手繰り寄せた
③2回目「洞川自然研究路」に続く