紀州街道「信達宿」界隈! | 紀泉伝次郎・趣味のブログ

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日々の活動や微妙な心の変化などの日記として、
身体が動かず何もできなくなった時、
読み返して記憶をたどりたいので、
  【 将来の自分の為に! 】
出来るだけ多投稿したいと思います。

紀州街道は、古くは熊野街道とも呼ばれ、

信達宿は約九百年前頃より、

熊野詣の人々で賑わっていたという。

江戸時代の参勤交代で紀州藩が列をなした

紀州街道「信達宿」

を初めて歩いてきた。

 

この道は自転車で行く

「散歩タリング」では定番の道だが、

歩くのは初めてである。

 

さて出発は「6時10分」、先ずはアジサイ寺の「長慶寺」に参拝してからの出発である。紅葉とアジサイの時期には必ず来る定番の場所だ。こんなに早朝から来たのは初めてだが、

流石、長慶寺、伽藍の佇まいは素晴らしい!

参拝して散策後、紀州街道「信達宿」に向かう。一方通行の細い道は、まだ車の通りは少なかった。いつもの自転車で行く方向とは逆の方向で進んで行った。

紀州藩御用達「本陣跡」の角谷家に着く。中がどうなってるのか興味深い。

直ぐに詳しい案内板があったので確認の上、「真如寺」に行った。徳川吉宗が宿泊したときに植えたという「貝塚イブキ」がある。この近郷ではなかなか著名な寺だ。

さらに行くと、3基の「常夜灯」がある。説明板を読むと、交通の要衝には、殆ど設置されていた「常夜灯」は旅人の安全の為に、また宿場の目印でもあった。今ではどんな道でも電灯・街灯がついているが、電気のない時代の旅は、遠くに見えるこの「常夜灯」を目当てに真っ暗な中を歩いたんだ、という妄想を久々にさせてくれた。

虫篭窓や蔵のある古い建物を眺めながら進んで行くと、毎年見に来る「梶本邸の野田藤」に着く。今年は4月21日に「散歩タリング」にてこの見事な藤を見に来てる。さらに「信達牧野」の信号を通過して前進す。

「往生院」に着く。山門前にある「由緒書き」は初めて最後まで読み切った。なかなか歴史は古く、書いてある内容も迫力の歴史が刻まれている。本堂前で参拝し、横にある2柱の「宝篋印塔」が目を引く。

さらに進んで行くと「大鳥居」の信号に着くが、ここもポタリング時の見慣れた信号である。しかし通過するだけで本当の「大鳥居」へ行ったことが無かったので、この信号を左へ進んで行くと、鳥居が見えて来た。そこは公園になっていて一番奥に「信達神社御旅所跡」の碑が建っていた。

「信達神社」は、梅の名所で知られる「金熊寺」の近くにあり、江戸時代前期の建築では、大阪府最古級のものであるらしい。
ここからは折り返し、違う道で戻って行く。細い道をくねくねと進んで行くと思い出した、折角なので滅多に寄ることのない「JR砂川駅」に行こうと。駅前を通過して「松源」の横を進んで行くと、奥に長く伸びた「公園」を発見し、「新規開拓」が出来た。こういう公園を知っていれば、ポタリング時に寄って休憩に使えるのだ。

街中の小さい公園場所を

出来るだけ多く知っていることが、

「散歩タリング」時には休憩・トイレなど

非常に重宝するのである。

再度また「紀州街道」に戻って、「市場稲荷神社」へ向かう。もうここも今回で4回目となる。

ご祭神の豊受姫大神は、農業や機織、その他各産業の発展をつかさどる神様で、創建は天仁元年(1108年)で伊勢外宮より勧請され、江戸時代にこの周辺に市場が出来て賑わったので「商売の神様」として祭られるようになり、「市場稲荷神社」と呼ばれるようになったという。

サ-、「長慶寺」に戻って行く。途中には「市場地蔵堂」があり、参拝し、再度「長慶寺」に戻った。

いつもはポタリングで通過するだけの道だが、今回は古い家並みを見ながら、「紀州街道・信達宿」を実際に歩いて、その歴史探訪を兼ねてウォ-キングして来た。

偶にはこういうウォーキングも亦良し!

「6.3km/2h00m」の歴史探訪ウォーキングは、

早朝だったので前半は車の通りも少なく、

十分に満喫できた「紀州街道」だったが、

7時を過ぎたあたりからは、

車やバイクの量と

人出が一気に増えてきた。

 

なにしろこの「紀州街道信達宿」は、

住宅街の真っ只中にある

人口密集地なので致し方ない事であるが、

道が細いので危険な場所もある。

 

9月に入ったら、

「散歩タリング」

も再開するので、

またこの道を通過するときは、

恐らく違った気分で通過できると

期待する今日この頃・・・!