本来、「飯盛山」や「札立山」経由で、
ハイキングとしての
コ-スの一部であるが、
今回は場所を限定した
ウォ-キングとして、
「平井峠~孝子観音」
界隈を歩いてきた。
「平井峠や孝子観音」に来るのは
何と数年ぶりの御無沙汰!
さて、2国沿いの沿道に車を止めて出発したのは「6時30分」だった。
2国の県境の高架を横切って行くと「札立山」への山道に入って行く。この暑さで誰も歩くことが無いと感じられるように草は生い茂って道が見えない程であったが、途中からは荒れた山道が見えて来る。鬱蒼としたうす暗い緩やかな登坂を上がって行くと、「札立山と平井峠」への分岐点に着く。あともう少しで目的の「平井峠」だ。しかしここからも又草が生い茂ってさらに「蜘蛛の巣」が蔓延っていたが、多分こうだろうと思いあの「ネット付き帽子」をかぶって来たのだ。
「転ばぬ先の杖!」
用心に越したことはない!
何でも準備99%、実行1%!
着いた。数年ぶりに来るこの「平井峠」の首のない石仏を見た時、何も変わっていない様子を見て思わず嬉しさがこみあげてきた。しかし「やぶ蚊」がそのテンションを下げて来る。長居は無用と石仏に手を合わせて急いで下山した。
山道を下っていると、来るときは薄暗かった道には陽光が射して綺麗だった。無事に舗装道に出て、2国と並行に進んでいると「テッポウユリ」が一輪「ご苦労さん!」と頭を下げていた。さらに進んで行くと、ブル-バックに美しい山の稜線が見えて来た。
もしやあれは「高野山」(たかのやま)か!?
念のためにスマホ地図を確認すれば、
まさしくあの懐かしい「高野山」であった!
サ-、舗装道を歩いて一気に「高仙寺(孝子観音)」に向かう。川沿いにある集落の細い道を進んで行くと、長く続く階段があり「孝子観音」の境内へと導いてくれる。
汗をかきまくり、有酸素運動を重ねて、ゆっくり階段を上がって行くと仁王立ちの「天部」が2体、こっちを睨みつけてる山門は迫力満点である。もう何回も「山歩き」を通じて観てきてはいるが、数年ぶりに来て観ると不思議なくらい「達成感!」を感じたのだ。
しかし指は欠け、腕は落ち、大切な遺産がそのままの状態で放置されていた。
寺に金は無く、頼る住民も減少し、どうしようもないこういう寺は全国的な問題であるが、若い人の仏教離れが著しく、「葬式仏教」と揶揄される昨今、一つの時代の流れと理解するべきか!?
サ-山門をくぐってまた階段を上がって行くと、一本の石で造られた「灯篭」が目を引く。その横には「行者堂」がある。
さらに階段を上がって行くと「孝子観音」の本堂が見えて来た。飯盛山から高野山へ下ってこの「孝子観音」へ度々来たものである。しかしもう今はそのコースを往復することはここ数年止めている。
「葛城修験」が日本遺産に認定されてからは、「役行者葛城28宿」を中心に、所縁の寺や神社、場所にはこの黄色の看板が付けられるようになった。
しかし、久しぶりすぎて懐かしく感慨深い
暫し狭い境内を散策。裏に回ると、「高野山・飯盛山」への登山口がある。ここからの急登が目に浮かぶ。
もう一か所見ておきたい場所がある。「役行者母公の墓」である。「本堂」左から奥へ進むとすぐにある。以前には無かった新しい看板類や鎖の柵が設置されていたのだ。
山の斜面に掘られた穴に「役行者像」、その左側に「母公の墓」がある。天川村にある「母公堂」は立派だが、この「墓」は自然のままである。
再度「本堂」に戻って水分補給の休憩をする。その時この場所の標高を見たら「139m」であった。
「孝子観音」を後にして、途中の分岐から初めて歩く「孝子駅」迄の旧道を進んだ。細い道を下って行くと着いたのが、民家がまばらに点在する舗装道に出た。前に見えるは「2国の高架」、周りは畑でブル-バックに冴える里山風景は、絶景である。
この道を進んで行くと自動的に踏切に着き、渡って府道沿いの歩道を進むと「孝子駅」に着く。駅前の柵には「葛城修験・高仙寺」の案内看板がおおきく掲げられていた。
サ-ここからまた戻って車を止めた場所に向かう。車の場所に戻ったが、あの「進入禁止」になっていた「逢帰ダム」へはまだ「進入禁止」になってるのか気になったので「逢帰林道」を進んだ。
やっぱりアカンかった
今回の「5.3km/2h57m」は、
いつも歩く海岸線とは違って、
長い登坂のある「平井峠」、
階段がキツイ「孝子観音」、
という時間の割りには距離が伸びない
「汗かきまくり!」のウォ-キングだった!
今回もまたあの「ネット付き帽子」が
大活躍してくれたことに感謝である。
数年ぶりに来る懐かしさと満足感、
新しい道の開拓によっての爽快感、
ブル-バックに冴える里山風景などで、
🎵疲れを知らない子供のよう~に~🎶
前に進むことができた
今日この頃・・・・!