【藤・特集】 その②
今回は、ポタリングで泉南市の
最高の「藤」が見れる有名どころで、
一般公開されている
梶本邸の「野田藤」
を観に行ってきた。
さて、「里海公園」に着いたのは「8:05」だった。晴れてるのに曇ってるこの感じは「黄砂」が原因だ。淡路島も、ゲートタワ-も霞んで見えない。太陽光の威力も半減してるが、めげずに頑張ってペダルを漕ぐ。
一気に走って目的の「梶本邸」に着く。毎年なかなか見事な「野田藤」を魅せてくれるので、飽きもせずこの時期になると観に来たくなるのだ。道から見る外側も綺麗だが、庭園はもっと綺麗である。
今年も堪能できた
「梶本邸の野田藤」
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もうかなりの人が来ていたので、10時を過ぎれば平日なのに「おっとどっこい!」となるのが間違いない。22日(土)、23日(日)は「藤まつり!」なので、「コロナの下火!」が物を言う今年の「藤まつり」は、推して知るべしだ。一日前の今日来て良かったと胸を撫でおろす。
人の入らない写真を撮ろうと頑張ったが、
無理なことを頑張ってもしゃ-ない!
VERY GOOD
最高でした
サ-十分に堪能したところで海岸線へ向かうことにした。
その途中には、顔が修復された古い「お地蔵さん」がある。「八丁畷地蔵」と言って、「正平18年」(1363年)の年号が彫られていると書いてある。
(1363年)と聞くと、飯盛山に上がる登山口にある「西谷寺」のすぐ裏に「建武地蔵」(1337年)を思い出した。年号は(建武4年)である。両方ともに「石仏」であるが、「建武地蔵」の方が遥かに大きい。
時は南北朝時代で、南朝では建武は後醍醐天皇、正平は後村上天皇の時代である。
梅林で有名な「賀名生の里」に皇居を構えた「後醍醐天皇」が「吾が正当な天皇である!」と明言したことから、以後約60年にわたる両朝が対立・抗争する「南北朝時代」が幕を開けたという事は、奈良県3大梅林の一つであるこの「賀名生の梅林」へ毎年来てるのでそのあたりの事情は既に頭に入ってる。
この「八丁畷地蔵」から、色々な歴史や、梅林の事などを思い出させてくれたことに、自分流の「ゆっくりポタる散歩タリング」が引き合わせてくれたのだ。
スピ-ドを楽しむ「サイクリング」では、この体験は出来ていないのである。
「南海・羽倉崎駅」の前で少し休憩し、ちょっと迷ったが、今日は「りんくう公園」までは行かないで、「タジリッチ広場」経由で海岸線を戻って行くことにした。
田尻漁港の「海上釣り堀」は相変わらずの賑わいで、沢山のアングラ-が糸を垂れていた。
「黄砂」で関空道や関空そのものが白く霞んではっきりしない。
「泉南マリンブリッジ」を上がって丁度中央のピークから「岡田浦漁港」、またその向こうに延びる「泉南ロングパ-ク」、その逆方向のゲートタワ-や「田尻スカイブリッジ」など全てが霞んでいた。
「泉南LP」内に入って行くと、今日は人出は少なかったが、唯一「ハートスラブ」は奇声を上げて賑わっていた。
「樽井漁港」にある「アイス」の自販機で今日は「グレ-プシャ-ベット」を買った。いつもの「秘密基地」で一人たんまりと味わった。
海岸線を走り、旧国道に出て一気にまた「里海公園」に戻った。中央にある「潮騒ビバレ-」では鯉のぼりが良かった。
今日は「42.4km/5h35m」の
「散歩タリング旅」の中、
黄砂での冴えない風景だったが、
それでもやっぱり
「梶本邸の野田藤」
は裏切ることは無かった。
また「八丁畷地蔵」の年代で
西谷寺裏の「建武地蔵」を思い出し、
南北朝時代ということから
後醍醐天皇➡南朝の皇居
➡賀名生の里➡奈良県三大梅林、
という思いもよらない方向へと、
自分が実際見て体験した場所を
思い出していったのだ。
今回は、「野田藤」の綺麗さに心惑わされ、
古い地蔵から、体験した場所・歴史を思い出し、
潮騒ビバレ-の宙に浮く鯉のぼりが冴えていた!