「経ヶ岬灯台」と徐福伝説の「新井崎神社」 | 紀泉伝次郎・趣味のブログ

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日々の活動や微妙な心の変化などの日記として、
身体が動かず何もできなくなった時、
読み返して記憶をたどりたいので、
  【 将来の自分の為に! 】
出来るだけ多投稿したいと思います。

浦島太郎伝説の浦嶋神社を後にして、国道178号を一気に北上して日本海に面した丹後半島の最北端(京丹後市)に位置する「経ヶ岬灯台」へと向かう。ここも是非見たいと思う必見の場所である。

もともと「灯台!」が好きで、旅の途中に「灯台があれば必ず寄るのが、自分の「旅のちっこいコンセプト」である。

ナビの案内するままに広い駐車場に到着した。ここに来るまでの海岸線沿いは高い位置にあり、見える景色も又、和歌山の枯れ木灘とは違っていて素晴らしい!

ここからエグイ登坂の遊歩道を400m程行く。山歩きの時のいつもの靴とは違うので少々歩きにくいが、日頃の鍛錬か!息切れはすれど持久力はある。

すると藪の中から目の高さの位置に「灯台の頭!」が見え隠れして来た。「ヤッタ-、ついに来た!」とガッツポ-ズ!

サ-御覧いただこう、上から下から斜めからの「経ヶ岬灯台!」を。

かなり歩き回った。天気が抜群で液晶に写る画像も美しい。もう二度とと来ない所と思いシャッタ-を押し捲くったのだ。これが「曇りや雨!」だったらと思うと冷や汗が出る。

太く短く両翼を従えて鎮座する真っ白なその姿は「男そのもの!」で、見渡す限り「日本海」の中で一人重要な役割を担ってると思うと涙が出てくる。

言動に似合わず「ロマンティックでナイ-ブ!」

な私だが、こういうのには滅法弱いのだ。

ひとしきり感傷に浸って人生の棚卸!

駐車場に戻って端っこに行って見たら、急な斜面の上部に小さく見える「灯台の頭」。下を見ると白波の向こうは、極めて緩やかな放物線を描く水平線がある。やっぱり紅葉前の平日はどこに行っても人と車は無くて独占できる上に、気兼ねなく嫌な思いもせずにゆっくりと楽しめるのが最高だ!

また道の駅「舟屋の里伊根」に戻ることに。一気に来たが戻りはゆっくりと海岸線を堪能しようと走っていたら「蒲入」という場所があって写真スポットがあった。

車から降りて覗いてみると、高さがあるので迫力の一枚が撮れた。南紀串本の「海金剛」を思い出す。

次に「新井崎神社」に向かう。この神社は中国の「徐福」が秦の始皇帝の命を受けて、不老長寿の薬を求めて上陸したと言われる伝説の場所である。詳しいことは解らないが、極めて重みのある壮大な伝説だ。

神社としてはごく普通のどこにでもあるような佇まいである。しかし・・・

徐福が上陸したという「ハコ石」というのがあると書いてあったので、山道を行って見ると、途中には「経文岩」というのがあって大きな岩の下が洞穴になっている。内容を読んでもなかなか難しい。伝説にはやはり食い違いが多くあるし、当時の人の思いや願いが伝説を生んでる、という事実に基づかないから「伝説!」となってるんでしょう!

しかし疑うことなく、この伝説にはまってしまうことが今の自分の旅を楽しくさせてくれてるのだから・・・・・。

最先端迄行くと、「ハコ石」というのがあって、「徐福」という文字が入った石碑があった。海岸線には大きく黒い石がゴロゴロと独特で異様な姿で並んでいる。ここから徐福は上陸したと・・・・・紀元前に!

深く考えるのはもう止めよう!

再度また道の駅「舟屋の里伊根」に戻ってきたところで、丁度昼になってるのでレストランで漁師町らしく「海鮮丼」1800円を奮発した。しかし出てきたときに写真を撮るのをすっかり忘れて、舌鼓を打って胃袋満タンにして、爪楊枝で歯を掃除してるときに「アッ、しもた!」と気付いたが後の祭り。やむなく空になった御膳を撮ることにした。

さて食事が終われば、重伝建としての「伊根の舟屋」の冒険を歩いてすることにしたい。

次は、 重伝建【伊根の舟屋群】