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今週より、改めて小林正観さんの著書『ありがとうの神様』シリーズについて再度見ていきます。
五戒を口にしないこと
小林正観さんがおっしゃっている「五戒」については、これまでも度々記事の中で紹介してきました。
五戒とは
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つのことで、これらを口にしないようにしましょうということです。
斎藤一人さんも同じく「地獄言葉」と呼び、これらを口にしてはいけないと警告しています。
何があっても「五戒」を口にせず、言葉だけは優しく周囲の人を元気づけるようなものであれば、神様や宇宙が味方してくれるということです。
人間は「自分の発した言葉」によって、自分の人生が作られています。
周囲の環境や状況は全て、自分の言葉が作り出したものということです。
朝から晩まで「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けると、この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれます。
正観さんは、これら7つの言葉を「祝福神」と呼んでいるそうです。
斎藤一人さんは「天国言葉」とおっしゃっていますね。
反対に、「五戒」を口にしていれば、「ツイていない」人生を送ることになります。
「ツイていない」と嘆いているとすれば、今日一日を振り返って、「自分がそうしたい」と思ったことをどれだけできたか思い出してみましょう。
ご飯を食べたいと思って、その通り食べられた。
電車に乗りたいと思って、その通り乗れた。
このテレビ番組が観たいと思って、その通り観れた。
あれが欲しいと思って、その通り買えた。
そろそろ寝たいと思って、その通り朝までぐっすり眠れた。
そういえば、私も今の仕事や職場を望んでその通り勤められているのだなと思い返しました。
存外、一日のうち、私たちは「思い通りに生活できている」のです。
正観さんは、夜中の2時にある人から電話でこう相談されたそうです。
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないようにしてきたが、4ヶ月経っても思い通りの人生を送れない」
正観さんはすかさずこう答えたそうです。
「そういうのを、不平不満というのではありませんか?」
「思い通りにならなかった」と言う人がいたとすれば、「思い通りにならない」と言い続けたとおりになっているということです。
神様や宇宙は良し悪し、主語を区別しないということをよく表しているでしょう。
まるでプログラミングのように、指示したとおりに動作するということですね。
正観さんは、なるべく「怒らないほうがいい」と提唱しています。
なぜならば、人間が怒りの感情とともに吐き出す呼気の中に「毒素」が含まれているというのです。
こういった実験がありました。
一升瓶に普通の精神状態で生きを吹き込み、ハエを入れる。
すると40分くらいで「窒息死」したそうです。
今度は、怒りの状態で息を吹き込む。
すると、瓶の中のハエはたった「3分ほど」で「毒死」したそうです。
怒りの状態で放つ呼気に含まれる毒素には、一種のタンパク質を溶かす働きがあるようです。
従って、使った自分の内臓もダメージを受けるそうです。
損得勘定でものを考えれば、五戒を口にすると具合が悪くなるのであれば、こんな損なことはないとわかるでしょう。
正しい生き方をしようとか、立派な人になろうとかではなく、単純に「損」なのです。
体調不良になると五戒を口にしたくなります。
「体調が悪いから愚痴をこぼしたくなる」と言いますが、実は逆の可能性があります。
つまり、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の感情が身体を蝕んでいるのです。
ある外科医が、患者の家庭環境を分析した結果、「怒鳴り合っている環境」で生活している人と、「穏やかな言葉が飛び交う家庭」で生活している人とでは、明らかに「前者の方が病気になる確率が高い」ということがわかったそうです。
さて、ここまで読んできて、自分自身を振り返ってみれば、今年2月まで、「五戒」を口にしてはいけないなどと微塵も知らなかった私は、感情の向くまま五戒を周囲に対して声高に叫んでいました。
その瞬間はわずかですが心が晴れた気がしたからです。
そうでもなければやっていられない、とそう思っていました。
しかし、実際は逆だったのです。
今まさにその「ツケ」を大いに払わされているわけです。
ようやく五戒の恐ろしさに気付けたものの、日々の地獄のような苦しみの中で、どうしても「痛い、辛い、もう勘弁してほしい」という言葉になって口をついてきます。
それが次の「痛く、辛い」状況を引き寄せている。
それもわかっています。しかし、どうにもならないこの苦しみ。如何ともし難い痛みの前に私の学習内容などどこかへ飛んでしまうのです。
本当に哀しいことですが、立ちはだかる現実に無力な自分がいます。
最近はそう思っても仕方のないことと受け入れ、弱い自分を許すことはできるようになりました。
あとは、「どんな状況であっても五戒を口にしない」ということです。
今できることは、少しの痛みであれば、「まぁいいか」と受け流し五戒を言わないこと。
少しでも「五戒を口にせざるを得ないような」耐え難い痛みの発動を抑えることが大事です。
「痛い、苦しい」と思うことが地獄の痛みを呼んでくる。
これを意識しながら、痛みを痛みとして認識しない。
ここでマインドフルネスの学習内容を適用していくということでしょう。
もはや精神修行の域に入ってきたように感じます。
知人がミャンマーの寺院で修行されたことがあるそうですが、「自分自身の痛みを俯瞰して、第三者的に見、身体の反応と感情を切り離す」という、まさに同じことが修行で行われていたそうです。
つまり、今の私はミャンマーで高僧になろうと修行されている卵の方々と同じ状況にあると言っても過言ではないのです。
日本の自宅にいながらにして高僧になるための精神修行と同じことを課せられている。
これはある意味で面白い状況ではあります。
ここを乗り越えた時、おそらく皆様にとって何かヒントとなるようなことを、自分なりの理論でお伝えできるのではないかと思っています。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
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