ご訪問頂き誠にありがとうございます。

 

今週より、改めて小林正観さんの著書『ありがとうの神様』シリーズについて再度見ていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 争い事を生み出す「い・ど・お」の心

 

 

正観さんは、人間の中にある3つの心が争い事を生み出すと言います。

「い・ど・お」の心とは何でしょうか。

 

い ー 威張る

 

ど ー 怒鳴る

 

お ー 怒る

 

だそうです。

 

 

通常「正義感」や「使命感」を持つことは良いこととされています。

しかし、正観さんは人間がこの正義感や使命感を捨てれば、世の中が平和になるというのです。

 

なぜならば、この正義感や使命感の裏に「い・ど・お」の心が潜んでいるからです。

「自分が正しい」「自分は間違っていない」「自分は正義である」「相手は間違っている」という思うと、やがて、威張ったり、怒鳴ったり、怒ったりするようになるというのです。

 

 

 


「この世のすべての人が『自分は間違っている』と思ったら、戦争は起きないだろう。この世のすべての人が『自分は正しい』と思ったら、争い事ばかりだ。戦争はなくならないだろう」

 

 

人間の心の中から正義感がなくなれば「なぜ、そういうことをするのだ」と他人を糾弾することはなくなる

 

人間の心の中から使命感がなくなれば「なぜそういうふうにしないのか」と「しないこと」をなじることもなくなる

 

 

正義感や使命感は、自分が自分を律するために使うのは良いことですが、それを他人に押し付けようとすれば、相手の心の中にも「い・ど・お」が湧いてくることでしょう。そしてそれは互いに相容れなくなり、「争い」になります。

 

 

どんなときでも、怒らないこと

 

どんなときでも、相手を憎まないこと

 

 

「もしかしたら私が間違っているのではないだろうか」と謙虚になることです。

ただし、謙虚とは自分を卑下するのではなく、ただ自分がどう生きるかを、自分に課して生きていくことです。

 

 

正観さんが仰るように、人間は「自分が間違っている」と思って争ってはいません。


人間はそもそも相手を思いやる愛のある動物であるということを以前の記事でも書きました。


自分や自分の周りの人々を守るために、それを同じく自分たちを守ろうとしている他者とぶつかってしまうのです。


そこに邪悪な心はなく、愛があるが故に争いを起こしてしまうということです。

 

相互の意見と食い違うことはあります。

しかし、いくら自分が正しいと思っても、一旦それは置いておいて、相手の主張に傾聴し、お互いに歩み寄るというのが理想でしょう。

 

一方で、自分は相手と違う意見であると主張することは必要なことです。

相手の意見を鵜呑みにしたり、自分の意見をあっさり下げてしまうのはそれはそれでコミュニケーションの破綻となるでしょう。

 

正観さんが仰っているのは、相手と意見が食い違った時には、あくまでも正義感や使命感を相手に押し付けないことということであって、自分を殺せということでないことは注意したいですね。

 

自分が100%正しいとは思わず、間違っている可能性も頭に入れながら、自分の意見と相手の主張とをすり合わせていく。

とかく「0か1」かという判断をしてしまいがちですが、「0.5」や「1.5」というものもあるのではないかという視点をもつことが大事ですね。

 

 

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 頼まれごとを断らない

 

人生がうまくいっていない場合、「思い」が強すぎるということがあります。
自分の人生を思い通りにしようとせず、思い通りにされるととらえることで神様に味方してもらえるそうです。
「思い通りにされる」とは良い仲間から頼まれごとをして「ありがとう」を言われる喜ばれる存在となるということです。
 
「何かをしたい」と思いを持たず、「いかに喜ばれる存在になるか」に集中するのです。
 
正観さんは、「頼まれごと」だけで年間300回の講演会や合宿、取材などで毎日忙しくされていたようです。
頼まれる限り断らずにすべて受けていたら、そのようになってしまったと言います。
 
好きか嫌いかの判断ではなく、「人に喜ばれることを選ぶ」のです。
 
すると、同じようなことを何度も何度も頼まれるようになります。
そうして2、3年経った時に、「自分はこのことをやるために生まれてきたのだ」と気付くそうです。
 
それが自分の「使命」に気づいた「立命の日」となります。
自分の「使命」がわかったら、「あれがしたい、これがしたい」という自我を持たず、他人からの「頼まれごと」を淡々とこなしていくのです。
 
人は人の間で生きて「人間」になる。
 
「人から何かを頼まれて、それをこなす」
そして「あの人に頼んで良かった。ありがとう」
と人に喜ばれることこそが人生の目的であると言います。
 
 
 
 

 

 

 

 すべてを受け入れること

 

 

多くの人が「闘うこと、抜きんでること、人と争うこと、比べること」で生きています。

しかし、それとは全く違う価値観で生きている人々がいます。

 

全く違う価値観とは何か

 

「今のままで幸せである、100点である」

 

という考え方です。

 

全体の1%に過ぎない人々には大きな不幸を経験したことがあるそうです。

だからこそ、「普通に生活できること」がどれだけ幸せかを知っているのです。

 

 

「ほしいものを50個書き出してください」

 

というと大抵の人は簡単に書けます。ところが

 

「すでに手に入っているものを50個書いてください」

 

というと書けないそうです。

しかし、この1%の全く違う価値観を持った人が書き出してみるといくらでも書けるそうです。

 

 

それは「夢も希望も持っていない」からだと正観さんは言います。

 

これには衝撃を受けるのではないでしょうか。夢や希望を持っている限り幸せになれないと言うのです。

なぜか。

 

「~したい」「~になりたい」「~がほしい」などと言っている背景には

「~が不足している」「~がない」「~ではない自分がいる」という気持ちが含まれています。

 

ないから、ほしいと希望する、夢を持つということです。

 

幸せは「~したい」と言って頑張ってもつかめないそうです。

「もっともっと」と求める限り、いつまでも満たされず、幸せにはなれないと言います。

 

1%の人々は、「今この瞬間」で幸せを感じることができるので、既に満たされている。

つまり、夢や希望を持つ必要がないのです。

 

「必要なものはすべていただいている」ことに「ありがとう」と感謝する。

すると神様が味方してくれて、さらに幸せになると言います。

 

「お金がほしい」と願う限り、神様から見ると、「お金がほしい」と思うような状態が好きなんだな。

となってしまい、いつまでも「お金がほしい」と思う状況を具現化してくれてしまいます。

 

お金であれば「今この瞬間に十分いただいています。おかげさまで何不自由なく生活できています」

とすると、神様がさらに経済的に十分だと思える状況を与えてくれるということです。

 

 

 

今この瞬間に幸せだと心から感じ、その満たされた心で人からの「たのまれごと」を断らずにやり、感謝される。

そんな人が真の幸せだということでした。

 

今日一日で、誰かのために喜んでもらえるようなことをしただろうか。

 

そんなことを意識しながら過ごしていきたいものです。

 

 

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これまでマインドフルネスの学習と実践について書いてきましたが、

今週より、改めて小林正観さんの著書『ありがとうの神様』シリーズについて再度深掘りしていきます。

 

習慣化しているルーティンがマンネリ化していると感じていることもあり、改めておさらいする意味もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そわか」の法則

 

 

人間の行為や行動の中で、神様が好むベスト3が、「そわか」です。

「そわか」とは何か

 

 

そ ー 掃除

 

神様はキレイ好きです。見た目や身の回り、心をキレイにしている人を応援するようです。

 

ある神社の宮司の方の著書に、「とにかく一にも二にも掃除が大事である」ということが書かれていたのを思い出しました。

最近では、「トイレ掃除が運気を上げるには必須である」ということもよく言われますね。

 

 

わ ー 笑い

 

「笑い」は笑顔だけではなく、肯定することや受け入れること、共鳴、共感することです。

笑顔や笑い声には、神様が用意した出来事について、「肯定的に受け止めています」という意思表示になるようです。

 

「笑う門には福来たる」ということも昔から言われることですね。

また、愛嬌のある人は人にも可愛がられる傾向にあります。

 

 

 

か ー 感謝

 

こちらは昨日にも記事にした通りですね。「ありがとう」は神様に対しての感謝の言葉です。

唱え続けることで神様もまたそれに応えてくれるということです。

 

 

「ありがとう」と唱え続けながらも、日々掃除をこまめにしながら笑顔でいれば、神様に好かれ、運気が上がるということです。

 

 

これらの行為には、いざ実践しようとした際に、2つのすばらしい特徴があります。
 

 

① いつでも、どこでも一人でできる

 場所と時を選びません。笑顔と感謝はもちろんのこと、掃除であれば、道端のゴミ拾いや公衆トイレの掃除をすると運気が上がるということもよく聞きますね。

 

②お金がかからない

 実践するのに費用がかかりません。特殊な技能も必要ありません。

 

ちなみに、「実践」とは実際に外に出して初めて実践と呼べるそうです。

掃除ならば、実際に掃除をする、笑いであれば実際に表情や声に出して笑う。

感謝であれば、ちゃんと声に出して「ありがとう」と言う。

 

「運は動より生ず」という易の言葉があります。

実践することで「運」が「動く」という意味だそうです。

 

頭や心の中だけでやるだけでは不十分ということですので、できるところから意識的にやっていきたいですね。

 

 

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これまでマインドフルネスの学習と実践について書いてきましたが、

今週より、改めて小林正観さんの著書について再度深掘りしていきます。

 

私が引き寄せの法則を知ったのは今から15年程前ですが、着目していたのは主に、ロンダ・バーン氏の『ザ・シークレット』シリーズやヒックス氏のエイブラハムシリーズ(いずれもほぼ著書は所有しています)、またマーフィーの法則でした。

 

したがって、本田健さんや、斎藤一人さん、小林正観さんなどの日本の方々のお名前は存じ上げませんでした。

 

今年に入り引き寄せの法則をやり直そうとした時に、初めて知ったのでした。

そこから日本人の方の書籍を中心に貪るように読みましたが、中でも一際異彩を放っているのが、小林正観さんです。

 

引き寄せの法則にとどまらず、心や日頃の行いのあり方というものから解説されており、引き寄せメソッドマニアに傾いていた私を修正して頂いたのでした。

 

そこで以下『ありがとうの神様』シリーズを深掘りしていきたいと思います。

最近習慣化しているルーティンがマンネリ化していると感じていることもあり、改めておさらいする意味もあります。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

小林正観さんは、多くの著書を遺しています。

その傍らで、年に300日も講演会で日本全国を飛び回っていたそうです。

その素晴らしいお言葉の数々は、人間の生き方について多くの大切なことを教えて下さっています。


唯物論者であり、目に見える形で物質的に現れない限り信じないそうです。


そんな正観さんによると、「神様はいるらしい」と言います。

いわゆるフワフワとしたスピリチュアルの立場でおっしゃっていないことは、男性脳にとってはありがたいことでしょう。



 ありがとうの神様


正観さんといえば、まずこの独特な「ありがとう」の理論でしょう。



小林正観さんによる「ありがとう」についての解説は以下のとおりです。


🔸検証を重ねた結果、「ありがとう」には大きな力があるらしい


🔸元々「ありがとう」は「有り難し」から来ており、神仏を称賛するための言葉であった。

 それゆえに神様から見ると、「ありがとう」は自分たちを称賛していると思われるようである。


🔸神様はその人が何回「ありがとう」と言ったのかをカウントしている


🔸心がこもっていなくとも、「ありがとう」を2万5000回唱え続けると涙が出てくるらしい。

さらに「ありがとう」を言い続けると心からの感謝に目覚める


🔸ただし、「ありがとう」を2万5000回達成する前に「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を口にすると、その時点でカウントは0に戻ってしまう


🔸もし、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を口にしてしまった場合は、10秒以内に「今のはナシ!今のは、間違いです!」と言えばリセットされない



さてこれが「ありがとう2万5000回チャレンジ」というものです。

ある女性は末期がんの娘のために「ありがとう」を毎日1000回、100日間唱え続けたところ、娘の末期がんが消え去ったといいます。


その他にも多くの人が、「人生が好転した」と言っています。


私も毎日唱えていますが、段々と感謝の念が強くなっているのを感じています。


信じる信じないは別として、お金もかかりませんし、だまされたと思って、ここはひとつやってみてはいかがでしょう。


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本日は以下のテキストの実践です。

週替りのワークをこなすことで、マインドフルネスを実践していきます。

 

 

 

 

 

 

 

Week11は 「やさしい手で触れる」です。

 

生き物に限らず、全てのモノに「優しい手」で扱いましょう。

 

 

 ワークの狙い

 

 

この練習をすると、自分や他人がモノをぞんざいに扱った時に気付くことができるようになります。
ぞんざいな扱い方というのは例えば以下のような行為です。
 
■ 店員さんに小銭を投げて渡す
 
■ 荷物をぞんざいに扱う
 
■ 使ったものをその辺りに投げておく
 
■ ドアを強くバタンと閉める
 
■ モノを投げる
 
 

私たちは、誰でも優しい手の使い方や触れ方というものを理解しています。

壊れてしまいそうなもの、例えば繊細な工芸品や貴重品、高価なものはもちろん、動物、赤ちゃん、子ども、愛する者へ触れる時のあの「優しさ」のある手の使い方です。

 

生活している上で意識をしないとこのように大切に扱うということが疎かになっている場合があります。

人は意識しないとついつい「今ここ」から離れ、心を置き忘れるような元の習慣にあっという間に戻ってしまうのです。

この練習を通して、「なぜ、いつも優しい触れ方というものができないのか」というマインドフルネスの本質的な問いを投げかけられています。

 

また、いかにモノを優しく扱うかを練習することは、どのようにモノに触れるかを意識するだけではありません。
自分がどのように触れられているかも意識するようになります。

 

 

 このワークの学び

 

私たちが優しく触れることを意識するのは、普通はモノに対してより人間に対してです。

急いでいる時や腹を立てているときなどは、人をモノのように扱ってしまうことがあります。

 

挨拶を意図的もしくは無意識に無視してしまったり、ぞんざいに対応したりするとき、相手をモノかそれ以下として扱っていることになります。

こうなると相手はしだいに自分の敵になってしまうかもしれません。

 

日本では、モノを大切に扱う文化があります。

「〇〇道」とつくものは大抵道具の扱いから徹底的に指導されます。

 

職人や芸術家、料理人やスポーツ選手など、一流のプロフェッショナルな方々はも皆、商売道具を大切にしています。

 
これはモノにも魂が宿ると考えられているからではないでしょうか。
「魂のある存在」ということはそれは人間に対する接し方と同等ということです。
 
モノも人も丁寧に扱わなければならない。
日常生活において無意識では忘れがちな精神をこのワークは教えてくれるでしょう。
 
 
 
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