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今週より、改めて小林正観さんの著書『ありがとうの神様』シリーズについて再度見ていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間にのみ備わっている本能

 

 

動物には以下の本能が備わっています。

 

■ 自己保存の本能

 体を維持する行動をとる本能

 

■ 種の保存の本能

 子孫を残す本能

 

 

ここまでが動物に属する「ヒト」もまた持っている本能です。

しかし、もう一つ「人間」にのみ与えられている本能があります。

 

それが

 

「喜ばれると嬉しいという本能」です。

 
ヒトという動物が人間となっているのはこの本能があるからだと言います。
「喜ばれると嬉しいという本能」は「ヒト」にだけ与えられているものではあるものの、「ヒト」として一人だけで利己的に生きている間は、この本能は目覚めません。
 
 
ヒトは、一人で生きていると「ヒト」
ヒトは、人の間で生きていると「人間」
 
 
他人と競い、自分が勝ち上がると嬉しいのが「ヒト」
仲間が喜んでくれると、自分も嬉しいのが「人間」
 
 
その日一日「誰かに喜ばれる」ことをしたならば、その人の喜びが、「自分にも喜びをもたらす」ということに気がつくでしょう。
 
 
人間は自分の幸せを追い求めていっても、最後に行き着く結論は同じだそうです。
すなわち、
 
■ 自分が喜ばれると、自分が幸せな気分による
 
■ 自分の存在が喜ばれると嬉しい
 
ということです。
 
「喜ばれると嬉しい」という本能に目覚め、それを認識しながら生きていくと、やがて「良き仲間」に囲まれて幸せになるということです。
 
 
 

 

  他者がいなければ喜ばれない

 

ここからは私見となります。
 
確かに他者がいなければ「誰かに喜ばれる」という現象は起こり得ないでしょう。
従って「一人で生きている」とこの本能は目覚めないというのは当然のことでしょう。
 

方向が間違ってしまった自信や、逆に人間不信となって、自分の殻に閉じこもったりして、「自分一人だけで生きていける」などと誤った考えを持ってしまうことがあるかもしれませんが、一つとして自分一人でできることはありません。


 

また、「他人と競い、自分が勝ち上がると嬉しい」という次元で考えるというのは、まさしく「独り勝ち」ということであり、「一人」ということでしょう。

 

目の前にあるもの一つ取っても、自分の力だけではそこに存在しないものです。

つまり、自分という存在そのものが他人にとって生かされています。

 

生まれたばかりの赤ちゃんは何一つ自分でできない

 

自分で収入が得られるまでは、親に稼いでもらったお金で生きていくしかない。

 

自分で収入が得られるようになっても、それは他者から頂いたお金である。

 

こう考えていくと、どこまで行っても「独り」で生きていくことができないことがわかります。

精神的に「独り」と思っていても、少なくとも物理的には絶対に他者との関わりが外せません。

 

他者がいて自分がいるということがわかると、それに対して感謝の念が起こり、やがて他の誰かのために役に立ちたい、恩返ししたいと思うようになるでしょう。

 

それが「人と人との間で生きると」人間の「誰かに喜ばれると嬉しい」という本能なのでしょう。

 

 

 

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