子どもの将来を諦めるって?? | 高機能自閉症のユウト君とアスペルガーの母ちゃん

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皆様、こんにちは。しあわせ母ちゃんです。



先日、夜中にテレビをつけたら、市川拓司さんの「私小説」を元にしたドラマがやっていました。

母ちゃん、「私小説」は読んでいませんが、市川拓司さんの本は母ちゃんがユウト君の障碍を需要するきっかけになったものなんです。


上矢印これを読んで、もしユウト君の見えている世界もこんなに違うなら、それは受け入れなければいけないと腹を括ったわけです。

それまで「自閉症という診断がなくなるように」と考えていたのが「自閉症のユウト君が生きやすくなるように」と考えるようになったのです。

自閉症を認めるなんて子どもの将来を諦めることだと思っていたんですが、市川さんの本を読んで、親のエゴで息子の“世界”を奪ってはならないと思えるようになりました。

だから、母ちゃんは勝手に市川拓司さんを恩人だと思ってます。会ったこともないのにアセアセ


ちなみに上記の本は、どうやらその後のエピソードが加筆されたものが出版さんているようなので、ユウト君の本棚にこっそり入れておくことにしました。


今はまだ「指輪物語」シリーズに夢中なユウト君ですから勧めても今すぐには読まないと思いますが、思春期に入ってきた今だからこそ読んでもらいたいから。



それにしても我が子の障碍受容を「敗北」だと思っていたなんて、我ながら馬鹿ですアセアセ

そもそも定型発達が偉いわけでもない。定型になる(近付く)ことが勝利!みたいな発想を持っていた自分が恥ずかしい。

自分も当事者だったというオチまであるしガーン


受容するって我が子の将来を諦めることじゃない。諦めないから受容して方向転換するんですよ。

健常に近付けたい!→自立して生きていくためのスキルを身につけさせる

への転換。


そもそも今の医学では自閉症が完治することはない(ユウト君みたいに軽くなることはある)のにそこを目指すというなら、医者や研究者になるしかないい。目の前の我が子を育てなきゃいけないのにそんな暇ないわ。


下矢印ここにも書いたように、子どもの成長には「i+1」のインプットが大事。

でも、親が子どもの障碍を受容できず、「子どもの将来を諦めたくない」と、i+3とか4とかの環境を与えたら、子どもはキャパオーバーして「本当はできることもできない」状態になってしまう。

大人だって緊張したり周りに圧倒されたら力が出せないのと同じ。

子どもをそんな環境に置くことがなぜ「諦めていないから」になるのか、逆に理解できない。いや、理解はするが賛同も共感もしない。


小2の時に調べたユウト君のIQは100ちょうどなんですけど、実は母ちゃん、「意外に低いな」と思ったんですよ。父ちゃんのIQは知らない(調べてないでしょう)けど頭のいい人だし、母ちゃんは130あるらしいから、少なくとも母ちゃんぐらいはあるんじゃないかと思っていたんです。(←自慢じゃなくて)

でも、だからといって母ちゃんが「130はあるはず!」と燃えたところで無意味なわけで。

検査では100と出たけれど、100にも130にもこだわらず、ユウト君を本当に伸ばす環境を見極めるのが親の仕事。無理に「130以上の人があつまる場所に参加させなきゃ」とすることもないし、「100しかないんだからそれなりでいい」も違う。

毎日成長するユウト君の「i」より「ちょっと上」であれば、100でも130でも80でもいいわけです。

例えば母ちゃんの兄2人とお喋りすれば、それはIQ158と160に囲まれた環境で、いつも伯父さん達からいい影響を受けて帰ってくる。つまり100のユウト君ですがある部分においては155〜160くらいの環境が「+1」だし、運動においては幼児より劣っていたりもするから、入門クラスが十分「+1」になる。


諦めたくないから、親のエゴと理想を押し付けない。

それが大事だよね。