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このブログは、4歳で自閉症スペクトラムと診断された息子君(現在小学2年生。普通級)との日々を主に綴っています。
こんばんは。
自分なりに豊臣秀吉の人生をまとめた“伝記”を作っていた息子君が面白かった母ちゃんです。
ツッコミどころ満載の伝記なんですけど、小学校低学年の子が書いたものですからね。
文を書くことに抵抗がないのは、いいことだ
さて、本題。
一昨日から今日まで、たくさんのアクセスをいただき、ありがとうございます。(このブログでは過去最高です)
社会的関心の高い新幹線の事件。
これを機に、発達障碍についての偏見が少しでも緩和することを祈りますが…どうかな…。
昨日は、容疑者の両親のコメントから思うことを書きましたが、今日は発達障碍の子を持った親がどうすべきかについて書かれた本を紹介します。
母ちゃんとしては、我が意を得たりという内容でした。
誤解だらけの「発達障害」 (新潮新書)
734円
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著者は精神科医ではなく、発達障碍児を含む幼児から高校生までの学習支援を行っている民間の教室を運営している人です。
意を決して専門家に相談すると、こんな言葉が返ってきます。
「焦らず、しばらく様子を見ましょう」
「言葉を話せないという子どもの現状を受け入れてください」
「無理に言わせるのではなく、たくさん語りかけて言葉を増やしましょう」
「独り言は言葉の練習です。そのままにさせておいてください」
「視線を合わせるのは難しいのです。だから、できるところから始めましょう」
「高い所に登りたがったら、お母さんと手がにぎれるところまでならいいですよ」
「子どもの嫌がること、やりたくないことは、無理にさせないように」
いままで「なんとかしたい」と思って親が試みてきた接し方・教え方が、あたかも間違いであったかのような指摘をされることが多いのです。そして、「普通の子どものような成長を期待してはいけません」「治療法はありません。療育施設に通いながら様子を見ていくしかありません」「小学校の普通学級には進めません」などと、念を押されます。
(中略)
こうした言葉は、発達の遅れに気持ちが動揺している親をなんとか落ち着かせようという配慮のもとで発せられるものだとは思いますが、相談のたびにこのような言葉が続くと、親は自分の「なんとかしたい」という気持ちと、専門家から言われる「無理をさせないで」という指摘の間で葛藤することになります。
ちょっと長いですが、本書の初めの方に書いてある部分を引用しました。
この部分だけで、早くも「そうだよね!そうなんだよ!」と叫びたくなりました。
発達センターなどに相談に行くと、「そのまま受け入れろ」「無理にさせなくていい」「手取り足取りしてあげてでも、とにかく成功体験を積ませれば自信になる」とか何とか言われるんですよ。
で、息子君について相談したくて行ったのに、「お母さんの悩みを吐き出してください。何でも聞きますよ」みたいに言われる。
こちらの悩みなんか聞いてほしいと思ってない。息子君に対してどうすればいいかを聞いているんだ!とイライラしたものです。
この本の著者は、そんな“専門機関”の最近の傾向に異を唱え、「ありのままを受け入れて」「無理させないで」「失敗させないで」という姿勢は、子どものためにならないし、子ども達もそれを望んではいないと言います。
テンプル・グランディンさんが書いていましたが、自閉症についての研究は主に自閉症ではない研究者によって行われており、その内容は当事者からすると首をひねってしまうことも多いとのこと。
この本の著者である河野俊一氏も、実際に支援を受けている子ども達自身の声が少ないことが、適切な支援が行われない理由ではないかと書いています。
著者は自分の教室で支援を受け、無事に社会人になれた子たちに、以前の自分をどう思うか、今はどうかを尋ねています。
[ケース1]
Q:小学1年生の頃、授業中に教室から出てしまったのは?
A:興味があったから。
Q:(支援を受けて)学習に取り組むようになって、何が変わった?
A:頑張れた。教えてもらったことを覚えられるようになったから。
[ケース2]
感覚過敏で、冬でも半そで半ズボンでないと怒るような子だった。
Q:冬のあの時期、どう感じていた?
A:実はとても寒くて、凍え死ぬかと思っていた。でも、自分ではどうしようもなかった。
Q:何度も「着なさい」と言ったのに着なかったのだが…
A:自分で「着ない」と言ったんだけれど、本当は着られるようになるまで言い続けて欲しかった。
[ケース3]
独り言や奇声が多かった子。
Q:あの頃、自分がどういう状態だったか覚えているか。
A:周りのことはまったく見えていなかった。勝手にしゃべったり動いたりしていたが、やりたくてやっているわけではなく、やめたいと思っていても、どうしたらいいのかわからなかった。
…など。
驚くべき内容ではありませんか?
特に感覚過敏の子。
本当はできるようになるまで言ってほしかったって…!(全員がそういうわけではないのかもしれませんが)
息子君も数年前、幼稚園で友達からもらったクッキーをうっかり食べてしまって、感情がコントロールできなくなり、何時間も怒ったり泣いたりしていたことがありました。
少し落ち着いてから、「どうしても泣きたくなっちゃうのか、泣きたくないのに泣いてしまうのか」と尋ねたら、「泣きたくなんかないけれど、止められなかった」と答えたことがありました。
その後、この失敗に懲りて、絶対に口にしなくなったところからも、パニックを起こした状態を本人が望んでいないことがわかります。
それから、これは最近の話ですが、小学校で授業中に机をバンバン叩いてしまい、他の子の邪魔になる行為についても、「いけないことはわかっているけれど、疲れていたり眠いときにはやりたくなってしまう」と言っていました。
机を叩く行為がきっかけになって、3週間前に息子君は学校で小さな問題を起こしましたが、反省した息子君はそれ以来、一度も学校で机を叩いていないそうです
さっき、「もう3週間も我慢できているんだね。よく頑張ったね」と声を掛けたら、「もうやらないようになれたと思う!」と自信にあふれた声で言ってくれました。
もし発達センターに相談していたら、「机を叩くことで落ち着くなら…」と言われそうですが、息子君は自ら律することに成功し、自信に繋がっているわけですよ、実際のところは。
イライラの抑え方も、「どうしてもイライラしてしまったら、トイレに行かせてもらって、トイレでちょっとジャンプしてきたら?」と提案すると、「それはいい!」とか言って喜んでいました。実際は、そこまでしなくても、抑えられるようになってきているらしいのですが、単に「イライラしてつらいね。少しずつでいいからね」なんて言われるだけよりも、「我慢しなきゃいけない。どうしても我慢できない時には、他の人の迷惑にならないようにこうしてみたらいい」と示される方が、息子君本人のニーズに合っているわけですよね。
こうした実感があるので、この本で同じ(最近の支援方法の傾向とは異なる)考え方で、発達障碍の子の自立を助けている人がいるというのは、非常に心強く思いました。
発達の遅れとは、「学ぶ難しさ」というハンディである。大人の側にすれば「教える難しさ」という問題である。
それならば、どのようにしたら「学ぶ難しさ」「教える難しさ」を打ち破り、教えることができるようになるのか?
著者にしてみれば、最近の「苦手なことは敢えてさせない」という傾向は、「教える難しさ」から逃げているように思えるとのこと。
発達障碍の子に教えるのは、健常児に比べると根気もいるし、やはり難しい。それでも向き合ってあげれば子どもは伸びる。逃げてはいけない!手を抜くな!という思いがあるのです。
授業中に立ち歩いてしまう子、独り言やオウム返しばかりの子、人の目を見ることができない・話が聞けない子、やりたくないことを指示されるとパニックを起こす子…
みんな「どうしたらいいのか」がわからないだけで、学び方を教えれば落ち着いて授業も受けられるようになるし、コミュニケーションも取れるようになるということです。
著者の教室では、子どもたちの「育てたい、伸ばしたい力」を12項掲げています。
「しっかり見る・聞く姿勢を育てること」が最優先事項で、その他には「指示を理解する」「自分本位の感情や行動をコントロールする」「自分の考えをわかりやすく話すこと」などがあります。
発達障碍児を育てる親御さんが求める支援とは、まさにこういうものではないでしょうか。
最近の母ちゃんは、「『こちら側の世界』の歩き方」のガイドブックを与えるつもりで、著者の12項と同じような能力を身につけさせたいと思うようになりました。
その一方で、息子君が持っている独自の世界(疲れると“里帰り”してしまう『あちら側の世界』)はそのまま大事に持たせてやりたい。
そうすれば、息子君の才能を潰すことなく、社会で自立できるのではないかと思っているのです。
専門機関に相談したけれど、「幼児の間は見守って」とか「子どものペースに合わせてあげて」などと言われ、困り感がぬぐえていないお母さん。療育に通わせて入るけれど、効果があるとは思えないお母さん。
この本(親書なので、具体的に支援カリキュラムが書かれているわけではありませんが)をぜひ一読してみてください。
療育施設や発達センターとは異なる支援方法に一歩踏み出す勇気がもらえるかもしれません。