戦後に作られた愛国保守という嘘
保守というのは儒教でいう所の性悪説の孔子に例えられる。
前にも書いたように極度な性悪説は運命に束縛されて国家社会主義的な統治の下で
労働者のストライキを許さない。
改革的社会の下での資本家と労働者との関係は例えば
奴隷、労働者は資本家に対して労働環境改善、賃金アップの為のストライキを起こす。
資本家は労働者のストライキを防ぐために工具、農具、労働のシステムの改革を行う。
このようにしてある意味では資本家と労働者のお互いの革命と話し合いの相互作用によって
物質は改革され、新しい発明がなされ、貨幣が生み出され社会の血は流動する。
日本は戦後から長年続いた保守政治によってこのような資本の革命を忘れてしまった。
これは何故か。
日米安保闘争時、アメリカに頼らない日本の独立を目指した左翼活動家を押さえつけるために、
当時の総理大臣はいわゆるヤ〇ザな人達を利用して
「真の愛国者は我々右翼団体である」と、プロパガンダを行った。
そして彼らがその愛国心?を奇妙な形で宣伝する事で
日本の改革的思想と自らの国家に対する愛国心はまるで悪であるかのような思想統制を行った。
「自衛隊は恥ずかしくないのか」と自決した三島由紀夫は一般的に左翼の革命思想家であり、右翼ではない。
その後に日本はアメリカの成長と共に高度経済成長に突入、
この日米安保闘争時の嘘は結果的に良い方向に働いたのだろう。
確かに敗戦復興の為には、均一で右へ習えの社会を作り出して
はみ出し者を生まないようし、国家が解体することを防ぐには都合が良かったのかもしれない。
しかし、経済成長が止まった。
むしろこの保守社会が機能不全になって経済が下向きになった現在でも
何故かまだ右へ習えのままだ。
しかも物質改革する術の教育すら受けてないので生産手段すら持てないでいる。
安保闘争から一体何年経過したのか。
2011年の現在でも未だに保守派の政治家が自らの政治生命の延命のために
マスコミの前でだけ国民を欺くように「自分は改革派だ。」と逆の事を言っている。
何故保守なのに改革なのか、矛盾、極まりない。
戦後に作られた愛国保守という嘘。
これが繁栄の為についた嘘なら良かったのかもしれないが経済はもうすでに20年間停滞中、
GDPは20年前より停滞はおろか、むしろ下がっている。
もう既にこの嘘は機能していない。
なのに未だに当時、プロパガンダを行った彼らの利権のみが国民を置き去りにして残っている。
まさに、日本人の精神は昨日と同じ今日を、永劫回帰を永遠繰り返すスーパー超人に育てられてしまった。
極端だが革命を料理に例えるとする。
水はガスが燃える力によって沸騰し水は湯に改革され、乾燥したパスタは湯によって
再び食べやすい柔らかさに改革され、トマトは調味料と赤ワインによって新しいルーに生まれ変わる。
このスパゲティーという美学によって材料改革された完成品は、初期の材料よりも価値がある。
ここでの料理という労働がそのまま価値に置き換わり、貨幣となる。
需要に対する供給の少なさと、美学の大きさがそのまま貨幣価値の大きさを大きくする。
改革を行わない者は命令される生活に甘んじてしまっている奴隷であり、さらに奴隷同士で馴れ合い、
水を水のまま、パスタをパスタのまま、物質の革命という仕事を行う事がない死んだまま生きる堕落者だ。
資本の革命の為に
まず、資本主義の自由の概念という常識に埋没した場合、財産は増えない。
彼らの中では資本の革命がないから、ただ資本の奴隷になってしまっている。
資本に使われている奴隷だ。
例えばある男が会社へ行って給料を月に20万円もらってくる。
半分は家の家賃、そして半分は生活費に消え、ギリギリ赤字にならずに生活する。
やがて男は結婚し、子供が生まれて養育費が必要になってくる。
男の給料は30万円に増えたが全て子供の養育費と、家の家賃、生活費で消える。
愛する家族だけ残せたならば男にとってはそれでいいのかもしれない。
日本では戦後からこれまでこのシステムが人生の暗黙のレールのようにあったのではないだろうか。
もしかして資本の奴隷になっていたのではなくて、奴隷にさせられていたのじゃないだろうか。
奴隷として摂取されていたとしたらその相手は誰か。
奴隷と資本家とは何が違うのか。
資本の革命が行われる場合、
自分の肉体、存在する全てが資本であり、革命が必要な事を感覚的に知っているから
例えば家を大きくしたいと感覚的に願った時、家という資本を必然的に改革し、
そこに生まれた付加価値によって家を大きくする。
自動的に、感覚的に社会が求める物に対して資本は労働を行って
資本の革命は一定の付加価値を平均的に生み出すのではなく、漏斗状に拡散させる。
(漏斗状に広がるという事を説明すると、例えばある資本の労働が原価に対して
2割の付加価値しか生み出せない場合でも
10は12に 12は次に14.4に、14.4は17.28 17.28は20.726 20.726は24.8712・・・
このように5回目の労働が生み出した付加価値は一回目の労働の2倍になっている。)
資本家が貨幣を生み出すために必要なのは土地と労働力と貨幣だ。
労働が純粋に貨幣価値を生み出せる場合には、このように資本家の収入は昨日より今日の方が多い。
生活するに必要な労働を生み出せる資本をすでに所持していて、
収入から必要以上の生活経費を求めなければ
気が付けばいつの間にか財産が増えているという結果になる。
奴隷と資本家のこの差は一体何なのだろうか。
資本家が貨幣を生み出す原動力は親から授かった体、宇宙が与えてくれた資本へ対する理解と教育と
実在に対してのその愛情の大きさなのだろう。
資本家にとって資本の革命は策略的ではなく、必然的な物であるので
例え不況の中にあっても、不況の中に生まれた需要に対して改革が行われているだけなので
資本の革命は「必然」だと言える。
この労働は誰かから奪うのではなく、資本は求められている物に対して創造し、資本を改革し与えている。
生み出す事を知らない負の連鎖に埋没していて改革する術をしらない奴隷は
ルサンチマンを抱き、武器を取り、奪う。
奴隷はこれを何故か「Red Scare」と称する。
実在への革命を行えない者が革命家、資本家に対して行う略奪の革命だ。
彼らはマルクス流の共産主義的な革命こそを行っているが実は本当の社会主義の赤い顔をしている。
マルクス共産主義とスターリン社会主義の違いはここにある。
このように資本主義下での資本家による資本に対する労働と改革は、
常に奴隷のルサンチマンを浴び続ける事になるので極秘に行う方が好ましいようだ。
さらに資本家は、常にこの実在に対しての感謝の念を、労働によって生まれた価値の一部を返す事で
忘れないように心がける事が大切になる。
時に資本家も温めてきた実在と家族を守る為に、武器を持たなければならなくなってくるだろう。
堀江貴文氏「寂しい、極限的状況」
2011,6,20